Unhappy Summer Vacation





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 ――夏は嫌いだ。
 空調の効いたコンビニに足を踏み入れて、高坂和泉はほっと息を吐き出した。墓参りの帰りである。夏の間は部屋にこもりがちな和泉だが、流石に盆まですべてを両親に任せようという気にはなれずに高坂家、舞原家先祖の墓を訪ねたのだった。同行した五樹と巴はそのまま二人で食事へ出かけてしまったため、一人である。
(別に、そのことを恨んでいるわけじゃないけど。でも陽射しに参った息子に気を利かせるくらいのことはしてくれたってよかったんじゃないかな。たとえば、タクシーを呼んでくれるとか……)
 口の中で毒づきながら、陳列棚からミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。食事も一緒に買ってしまおうか――ファストフードやジャンクフードは好きではないが、今日ばかりは帰って自分一人分の食事を作る気にはなれなかった。
 あまりコンビニという場所で買い物をしたこともないので、なにが売られているのかも分からない。とりあえず店内を見回して、弁当の類が売られているスペースへ足を向けてみる――棚を右から左へと順に見て、和泉はがっくりと肩を落とした。夕食時を少し過ぎたような時間が悪かったのだろう。陳列棚はすかすかである。
 パンや惣菜はいくらか残っていたが、それが自分の好みでないことは少し見ただけでも分かった。
(やっぱり、作る羽目になるのか……)
 体力を更に削られた心地で、また溜息を吐く――と、

「おいおい、冗談だろ」

 すぐ近くから、和泉に負けずとも劣らずぐったりした声が聞こえてきた。聞き覚えのあるその声に、視線を向ける。と、

「あ」

 和泉と同じように、ペットボトルだけを手に恨めしげな顔で陳列棚を見つめている男がいた。藤波透吾だ。カラクサ葬祭に勤める葬祭ディレクターだと、本人は言っていた。彩乃とその友人、四条由佳里からの依頼を受けた和泉は今、彼と協力関係にある。
 長広舌でどこか気取った彼のことが、和泉は少しだけ苦手だった。どちらかといえば親切な部類に入る人なのだろうが、彼との会話は酷く面倒である。
 透吾は声に気付くと、重たげに首をめぐらせてきた。目が合う。

「あ」

 これまた和泉と同じ反応で――その間抜けさはいささか彼らしくない気もしたが――こちらの手元を見て、すぐに状況を察したのだろう。彼は疲労の濃く滲む顔に、やや無理やり笑みと呼べるものを浮かべた。

「やあ、高坂君。君も買い物?」

 いつもと同じ、独特な低い調子のその声も今は少しだけ掠れているように聞こえる。
 和泉は胸中の苦さを顔に出さないよう努めて、答えた。

「ええ。藤波さんも?」
「まあね。とはいえ、見てのとおりだけど」

 辛うじて残っていた、握り飯を手にとって透吾が嘆息する。

「たこ焼き握りだって。なにを考えて企画したんだろうね。俺には理解できないよ」

 彼はうんざりした顔で、それを元の場所に戻した。

「これならインスタントの方がまだましだな」
「でしょうね」

インスタントの味は知らなかったが、とりあえず同意しておく。と――

「どうする?」

唐突に、彼がそう訊いてきた。

「え? なにを、ですか?」

 眉をひそめて、訊き返す。すると、彼はやや辟易した様子でまた口を開いた。もうしばらく口も利きたくないくらいに喋ったんだけどな、ここ数日は――と愚痴を零して、

「君も、夕食を買いに来たわけだろう」
「ええ、まあ」
「家はこの近くなのか?」
「いえ。墓参りの帰りなんですよ」

 と答えると、透吾は少しだけ嫌そうな顔をした。葬儀会社に勤める男がどうして顔をしかめるのか分からずに、和泉は怪訝な顔で彼を見た。こちらの視線に気付いたのだろう、透吾はすぐに疲れた笑顔を作り直したが。

「そうか。だったら、ここらのことは俺の方が詳しいか」
「藤波さんはこの近くに住んでいるんですか?」
「まあ、ね」

 一つ訊けば倍以上の言葉で返してくる彼が、それに関しては短く頷くだけだった。疲れた様子とはいえ、珍しい。触れられたい話題ではなかったのかもしれない。と、和泉もそれ以上は訊かなかった。そもそも彼の生活に興味はなかったし、気を遣ったつもりもなかったのだが――透吾の方はそう思わなかったらしい。

「ここが一番近いコンビニだったんだよ」

 少しだけ声を和らげて――どこか申し訳なさそうな顔で――続けてくる。

「もう少し行けばファストフード店やスーパーなんかもあるんだけど、そこまで行くのも面倒だったんだ。ファストフードは好きじゃないし、今日は自分で料理を作る気分でもないからね」
「俺も、同じようなものですよ」
「そうか。とはいえ俺の方は空腹を我慢できるような状態ではないし、この際ファストフードで我慢してしまおうと思っているんだけど、君はどうする?」

 成程、それで先の「どうする?」という問いに繋がるわけか。
 納得して、和泉は逡巡した。正直なところ彼との食事は気詰まりしそうで気が進まなかった。彼の方も社交辞令で誘ってみただけだろう。が、ここで素気なく断るというのも印象が悪い。上光朝子の件がどう転ぶか分からないからこそ、今は彼と仲良くしておきたいところではある。
(なんて打算的に考えるのは、好きじゃないんだけど)
 胸の内で密かに溜息を零して、和泉は答えた。

「俺もご一緒させてもらっていいですか? このあたりには詳しくないし、ファストフード店へ入ったこともないので――藤波さんさえ、よければ」
「勿論、いいさ。一人で食べるのはそれほど好きじゃないんだ」

 それも、恐らくは社交辞令だったのだろう。疲れた顔に一目で業務用と分かる爽やかな笑顔を張り付けて答えてくる男に、和泉も――こちらももう自棄気味に――愛想笑いで返した。
 そうと決めて、二人分のペットボトルを陳列棚に戻そうとしたときである。小さな着信音が透吾のポケットのあたりから聞こえてきた。すまない、と一言断ってから彼が通話に出る。

「ああ、美千留さん。お疲れさま」

 相手は女性のようだ。
 なんとなく会話を聞くのも気まずくて、和泉は透吾から少しだけ離れた。そんなこちらの様子に気付いたのか、彼は一度だけ携帯を耳から離すと通話口あたりに手をあてて――万里の母親だよ――と、笑った。

「友人と一緒なんだ。え? デートじゃないって。今日の俺にそんな元気がないことは、あなただってよく知っているだろう? うん、そう。夕食を買いに外へ出たら偶然会ったんだ。今からどこか飯でも食べに行こうかって話をしていたところ。で、用は? 夕飯を食べに? いや、迷惑じゃないよ。彼ともファストフードは好きじゃないって話をしていたんだ」

 どうやら食事に誘われているらしい。電話の相手とそんな会話を交わしながらちらっと視線をよこした透吾に、和泉は軽く首を振った。小声で、俺のことはおかまいなく――と告げる。実際、彼と食事に行くよりは一人の方が何倍も気楽ではある。むしろ好都合だと密かに安堵したほどだったのだが、

「彼も一緒にいいかな。万里も知っているから、喜ぶと思うよ」

 そんな透吾の提案を聞いて、和泉はぎょっとした。

「ちょっと待ってください、藤波さん……!」

 思わず声に出して電話中の彼に詰め寄る――抗議のつもりだったのだが、なにを勘違いしたのか透吾は爽やかに笑った。

「気にしなくてもいいよ、高坂君。美千留さんも、俺の友人に挨拶したいって言ってくれているからさ。俺一人じゃあ万里の相手も大変だし、君が一緒に来てくれると助かるよ」

 もしかしたら、後半が本音だったのかもしれない。友人じゃありませんし、と口の中で呟いて和泉はがっくりと肩を落とした。もう"美千留さん"とやらと話はついてしまったのだろう。透吾は通話の切れた携帯をまたポケットに突っ込んでいる。

「ただご馳走になるだけってのも悪いから、手土産でも買っていこうか。万里もいるしアイスが無難かな。君も選べよ」

 勝手なことを言いながら、また奥へ引き返していく。
 もうなにかを言う気力もなく――不満を口にしてしまえば、一言では済まなくなりそうだったからだ――和泉は大人しく透吾の後に続いた。彼はもうアイスケースの前で顎に手を当てて、土産の品定めをしている。

「美千留さんはチョコミントと決まっているんだ。俺はレモンシャーベット。万里はストロベリーかキャラメルリボンだな。君はなにが好き?」

 慣れているのだろう。さっさと決めていく彼に和泉は力なく告げた。

「……ストロベリーで」
「じゃあ、万里もストロベリーにするか」
「どうしてですか?」
「キャラメルリボンにすると、君のストロベリーを欲しがるから。一口とか言って、半分くらい食べちまうんだぜ。それじゃ、君が不憫だ」

 ようやく調子も戻ったのか、機嫌よく言いながらカゴの中にアイスを放り込んでいく。四人分。そういえば、万里は父親を亡くしたと言っていたか。不意にそんな話を思い出して、和泉は何気なく訊いてみた。

「藤波さんも、お墓参りには行ったんですか。万里さんの父親の」

 その瞬間、アイスケースの扉を閉めようとしていた透吾の手がぴたりと止まった。

「どうして、そんなことを訊くのかな?」
「いえ、万里さん親子と随分親しくしているようなので」

 なにか変なことを訊いてしまっただろうか?
 首を傾げながら訊き返す。返事の代わりに聞こえてきたのは、小さな溜息だった。透吾はアイスケースの蓋を静かに閉めると、苦笑を浮かべた顔で振り返った。

「まだ行っていないよ。お盆は忙しいからね」
「ああ。葬儀会社ってそうですよね、すみません」
「いや。そういう季節だから仕方がないさ」

 肩を竦めて、早足でレジへ向かう。和泉も、また彼の後を追った。足の長さの分か、どうしても小走りになってしまう。透吾はアイスを選んだときと同様に、さっさと会計をしている。そんな彼に、気後れしながら並ぶ。

「あ、俺が出します」
「いいよ。俺も昔は年上によく奢ってもらっていたし、客を連れ回した挙げ句に金まで出させたなんて言ったら美千留さんにも叱られてしまう」

 と、透吾は言うが。
 なにからなにまで気を遣われてしまうと逆に落ち着かないものである。居心地の悪さに体を縮こまらせながら、和泉は小さく頭を下げた。

「ごちそうさまです」
「万里も、君くらいお礼がちゃんと言えるといいんだけどな」

 店員からアイスの詰まった袋を受け取りながら、彼は苦りきった顔でそうぼやいた。



つづく
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大体不運な和泉