Unhappy Halloween






 その行事が一般化したのは、いつ頃からだろうか。
 少なくとも俺が子供の頃にはショーウィンドウにさえジャック・オ・ランタンが飾られることはなかったし、ましてお菓子か悪戯か――なんて誰かに言うやつもいなかった……気がする。だからと言うわけではないが、十月に入った頃から街がオレンジや黒のハロウィンカラーに彩られ始めると、酷く落ち着かない気分になるのだ。まるで見知らぬ場所にでも放り出されたような、奇妙な疎外感。そんな風に感じてしまうのは、俺がそもそもハロウィンのコンセプトを好ましく思っていないせいでもあるのだろうが。

「死者の祭り、ね」

 手の中の菓子を眺めながら、呟いてみる。可愛らしくデフォルメされた、ゴーストとコウモリ、そんなお決まりの絵が散りばめられた袋で丁寧にラッピングされたそれは、職場の女の子からもらったものだった。「藤波さん。お菓子と悪戯、どちらがいいですか?」なんて冗談は、若いからこそ言えるのだろう。勿論、俺は「どちらもいらないよ」なんて本音で答えてしまうほど詰まらない男ではないつもりだし、他人の楽しみに水を差すほど気の利かない人間でもないつもりだった。
 だから、「じゃあ、悪戯をもらおうかな」なんて気を利かせて答えてみたというのに。彼女ときたらまるで十代の女の子よりも初心な反応で、固まってしまう有様。それでいて、やっぱりお菓子でいいよ、と言い直してみれば微妙に残念そうな表情をするというのだから。これはもう苦笑いをするしかない。
 それはともかくとして――なんにせよ、死者を見送る葬儀会社の人間がハロウィンを祝うというのは、酷く滑稽な話のように思えた。だって、そうじゃないか?
 十月三十一日。死者の霊や化け物が家を訪ねてくる日。
 人間というやつは、どうしてそうまで人ではない存在に想いを馳せるのか。俺には理解ができない。ハロウィンに限らず盂蘭盆会にしても、そうだ。高い金出して見送った死者を、わざわざこの世に帰省させる理由がどこにある? そもそも、どうして多くの人は死後の世界の存在を信じたがるのだろう。口では「そんなものはない」と言いながら、死後の世界と霊の存在を前提とした慣習は日常の端々に見受けられる。死への不安がそうさせるのか? それとも、死者への未練からか?
 まったくもって分からない。分かりたいと思ったこともない。もっとも、そういった輩が多いからこそ葬儀会社と坊主が儲からせてもらっていることは認めているし、それなりに感謝もしているが。
 かくいう俺は、死んだ人間のことなどすぐに忘れるようにしている。身近な人の死でさえ引きずったことはない。結局のところ、人はいつか必ず死ぬのだ。他人の死を思う暇があるのなら、いつ終わるとも知れない自分の人生を精一杯生きるべきじゃないか。
 ――と、そんなことを考えていたからか。どちらかと言えば煩いくらいの万里の足音に気付かなかったのは。勝ち気な瞳に覗き込まれて、初めて俺は少女の存在に気付いた。オレンジ色に染めた髪をポニーテールにした彼女は、髪の色ばかりでなく性格にも少しだけ難がある。同じ年頃の子供たちに比べて、親と俺以外の大人を随分と見下しているようなところがあるし、我が侭で、忍耐力にも欠けている。そんな彼女のことを見かねた母親から頼まれて、俺は万里の教育係をしているわけだが。正直なところ、まったく更生できる気はしない。
(というか、子供が得意ではないからな。俺は)
 胸の内で小さく呟いて。けれど、さりげなく笑顔を作ることには慣れてしまった。
 そこらの女性に向けるよりはもう少しだけ分かりやすい優しさを混ぜて微笑んでやりながら、どうしたんだいと訊いてやる。すると、万里は満面の笑みで答えてきた。

「トーゴ、トリックオアトリート!」

 万里、君もか。――と零れそうになった溜息を飲み込む。恐らく、学校か塾かで覚えてきたんだろう。ハロウィンの由来も知らない子供に嫌な顔をしてみせるというのも、大人げない話だ。なにも言わないこちらを見て、万里は俺がハロウィンを知らないものと勘違いしたらしい。にやりと唇を歪めて、訊き返してくる。

「トーゴ、ハロウィンを知らないのか?」
「知っているよ」
「だったら、お菓子を用意してないんだろ。悪戯で決まりだな!」

 上機嫌な理由はこれか。
 この子のことだ。気合いの入った悪戯を考えてきたのかもしれない。「トーゴ! 目、瞑れよ!」なんて勇んでいる彼女に、俺もまた告げる。

「残念だね、万里」
「え?」
「あるんだよ。お菓子」

 拍子抜けしたのかぽかんと口を開けている万里の手に、あめ玉を一つ落としてやる。特別なところなどなにもない、ただの飴。袋にはマスカットと記されているから、そういった味なんだろう。ハロウィン仕樣ですらないのは、別に万里のために用意したわけではないからだ。仕事柄、客の子供と接することも少なくない俺は、いつもなにかしらの菓子を持ち歩くようにしている。嘘でも子供好きだと言った方が、心証は良くなるからな。
 同僚が用意したものに比べれば随分と寂しいが、それでもお菓子には違いない。万里は手の中のあめ玉を見つめると――余程それが不服だったのか――わなわなと肩を震わせた。

「こんなの、ずるいぞ!」
「ずるくはないよ。なにをあげなきゃいけない、なんて決まってないからね」
「でも、大人げない。大人はもっと子供に優しくしなきゃ駄目だって、ママが言ってた!」

 そうして甘やかされた結果が君なんだけどな、万里。
 とは、やはり口には出さずに。「じゃあ……」と代わりに、さっき女の子からもらったばかりのお菓子を渡してやる。中身はどうやらお菓子の詰め合わせのようだったから、万里も文句はないはずだ。人からプレゼントされたものをあげてしまうのはマナーに反するが。まあ、俺だけが特別という類のものでもなさそうだから、許されるだろう。
 けれど万里は包みを受け取ると、すぐになにかに気付いて嫌そうな顔をした。

「トーゴ、これ」
「うん? さっきもらったものだよ」

 夏上君にね、と相手の名前を付け加えて教えてやる。と、なにが気に入らなかったのか万里は包みをそのままこちらへ突き返してきた。

「いらないのかい?」

 人からもらった物だから、と遠慮するような性格でもないはずだが。
 怪訝に想いながら訊けば、彼女は不機嫌な顔のまま――

「いらない」

 唇を尖らせてそっぽを向く万里に、俺は理由を訊かなかった。彼女の気まぐれには慣れていたし、こういうときにどうやって機嫌を取れば良いのかも知っていたからだ。俺の同僚のことが気に入らないとか、考えてきた悪戯が無駄になったことを悔しがっているとか――まあそんなところだろう。と適当に見当を付けて、その小さな頭に手を乗せる。じとり、となにか言いたげな目で見上げてくる万里に、にっこりと笑って。

「そうか。じゃあ、帰りにケーキを買っていこう」

 ついでに軽く頭を撫でてやるだけでいい。

「え、いいの?」

 それだけでパァッと顔を明るくして、瞳を輝かせるというのだから。
(単純……と言うのは可哀想か。ま、可愛らしい部類ではあるんだろうな)
 やはり口には出さずに呟いて、代わりに小さく苦笑する。

「ああ。だけど、美千留さんには言うなよ。夕飯前にケーキなんか食べさせたって知られたら、俺が怒られる」

 娘をやたらと甘やかすくせに、そういう妙なところには煩いのだ。彼女の母親は。
 唇に人差し指を当てて言えば、万里は「うん!」と大きく頷いた。

「ハロウィンぽいのがいいー!」
「俺は普通のでいいよ」
「えーなんで。詰まらない。トーゴもハロウィンやろうよぉ」
「俺は、好きじゃないんだよ」

 カボチャは。
 と付け足したのは、そう言った瞬間に万里が泣きそうな顔をしたからだった。だから子供は苦手なんだと、思わず声に出してしまいそうになって口を噤む。やはり、子守りというやつは面倒でいけない。性に合わない。それでも放り投げてしまおうと思わないのは、勿論、俺がお人好しだからではない。単純に、万里の相手をすることが業務のうちに含まれているからだ。それなりに手当てももらっている。
(もっとも、わりに合わないと思ったことがないわけでもないけどな)
 溜息。
 万里はそれで納得してくれたらしい。もう笑って、彼女の父親を思い出させる人の悪い笑みを浮かべている。

「なーんだ。トーゴってば、カボチャが嫌いなのか!」
「まあね」
「あたしには好き嫌いするなって言うくせに、やっぱりずるいなぁ」
「大人だから、だよ。俺はもう成長しないけど、万里はまだまだこれからだからね」

 それらしい言葉で宥めてみれば、万里は珍しく素直に頷いて――

「おう。早く大人にならなきゃいけないもんな」

 そんなことを言った。

「早く大人になりたいのかい? 万里は」
「うん」
「どうして」
「大人になったら、トーゴとハロウィンできるから」

 大人じゃなくてもできるだろう、ハロウィンは。怪訝に思いながら呟く俺に、万里が真顔で答えてくる。

「大人のハロウィンは子供のと違うんだろ? 男が女に悪戯するんだって聞いた。悪戯って嫌なことのはずなのに、嬉しそうだったから。楽しいのかなって」
「ぶっ」

 俺は思わず吹き出した。

「万里。それは、誰に訊いたんだ?」
「トーゴ、顔恐い」

 恐くもなるというものだ。彼女が俺ではなく母親に訊いていたらと思うと、流石にぞっとする。「いいから、言いなさい」と低く促せば、万里はいつも叱られたときにするように体を縮こまらせて、呻いた。

「トイレで。夏上のおねーちゃんと鈴原のおねーちゃんが『藤波さんに悪戯をもらおうかな、なんて言われちゃった!』『いいなー。セクハラ発言だけど、藤波さんだったら許せるよね。むしろ、されたい! で、なんて答えたの』『ドキッとしちゃってなにも言えなかったよー』って」
「なにを言っているんだ、彼女たちは……」

 死者の祭りと言うよりいくらかは気が利いているとも思う。が、どちらにしてもくだらないことに変わりはない。うんざりと言って、俺は軽く万里の額を弾いた。

「十以上も離れた子供に悪戯をする趣味はない。少なくとも俺には、絶対ない」
「むう。トーゴのけち」
「けちとか、そういう問題じゃない!」

 むくれる万里にきっぱりと言って、もう一度溜息。
(だから、ハロウィンは嫌いなんだ。まったく)



END

---------------------
ハロウィンの嫌いな透吾と、透吾にかまってほしい万里の話。
自分では気が利くつもりでいて、実のところ他人から向けられる感情には疎いと思います。透吾は。そんな感じでいつものようにグダグダと語らせたり悪態を吐かせたり愚痴らせたりしていたら、ハロウィン全然関係ない話になってしまいましたが。
あと透吾がこうやって噴き出したりすることは、きっと本編ではないので貴重なのではないかと……。思いの他アピールポイントがなくなってしまったので必死です。