Unhappy Lovers day





 まったくどうしてこんなことになったのか、俺は途方に暮れていた。いや、途方に暮れていたという言い方をするのは大袈裟すぎたかもしれない。弱ったな、だとか、またやってしまったな、だとか――実際に考えていたことはといえば、その程度に過ぎなかったのだから。
 女性というのは扱いやすい一方で酷く面倒なところがある。そこが可愛いんだと言われれば否定はしないが、それにしても興醒めじゃァないか。特に、涙なんてのは。俺のために泣いてくれているというわけでもなし。共感しがたいわけさ。思い起こしてみても、自分が泣いた記憶なんてのはないからな。
 まだ、怒られた方が腑に落ちるよ。なんて言ったところで目の前で泣く彼女には分かってもらえないのだろうけれど。

「ああ、泣かないでくれよ。俺は女性の涙に弱いんだ」

 ふっと体温を感じる距離で寄り添って、髪を撫で、耳元で囁く。指の腹で涙を拭って――そうしてみたところで、次の瞬間にその手を振り払われてしまうことはなんとなく予想できた。泣かせてしまった女性を慰めることが下手なんだ。俺は。
 あんなに酷いことをしておいて、どうして優しくするの。なんて。こっちこそ、どうしてと訊きたい気分だよ。

「俺、君になにか酷いことをしたかな」

 首を傾げて訊ねれば、彼女は、したじゃない、と一言。
 心外だ。俺は女性に暴力を振るったことも、暴言で傷付けたこともないのに。

「新しい時計、プレゼントするよ」

 亡くなった友人からもらったものなのだと言っていたが、そんな死人の遺したものを後生大事にしなくったってさ。新しいものを贈るよ。君だって、その方がいいだろう。本当にそう思うのかって? ああ、思うよ。俺だったら、大切だった人からもらったものよりも、大切な人からもらうものの方がいい。え? 意味が分からない? どうして分からないかなぁ。俺はおかしいって? いいや。

「俺はまっとうだぜ? 誰より、まっとうに生きているつもりだ」

 君らみたいに理不尽なことで怒ったりしないしね。と言えば、彼女は無言で俺を睨み付けて手を振り上げた。いわゆる、平手打ちってやつかな。そのまま素直に殴られてやれば、彼女は満足してくれたのかもしれない。けれど、本当に申し訳ないのだけれど、俺には殴られて喜ぶような趣味はないんだ。
 すっと避けて、バランスを崩した彼女を支えてやった――っていうのに、なにが気に入らなかったのか。彼女は俺の手を振り払うと、そのまま走り去ってしまった。捨て台詞を一つ残して。

「最低……とは、またチープすぎやしないか」

 夢もあって、仕事もできた彼女のことは人間として嫌いじゃなかったんだが。

「どうにも、ああいうタイプとは相性が悪いんだよな。仕事じゃァお互い尊敬し合えるのに、いざプライベートに踏み込むとこうして破局してしまうっていうのは」

 もう苦笑いをするしかない。

「くだらないって思っていたけど――仕事と私、どっちが大事? なんて訊くやつらの気持ち、少しだけ分からないこともないかな。死人と俺と、どちらが大事なんだいってね」

 呟く。と、

「お前って意外と面倒なやつだよなー」

 いつから見ていたのか、万里が溜息交じりに答えてきた。

「デートにつけてきたのか? 悪い子だ」
「ちがうよ。そろそろ駄目になるだろうと思って、迎えにきてやったの!」
「そりゃどうも」

 ぷくっと頬を膨らませる万里の頭を撫でてやる。そうしてやりさえすれば分かりやすく機嫌を直してくれるところは、万里の長所だ。この子はこの子で難はあるが、どうにも分かりにくい女心なんかよりはまだ面倒がなくていい。

「で、本当のところは? 帰りにアイスを買ってやるから、教えてくれよ」
「夏上のねーちゃんと鈴原のねーちゃんに頼まれたんだ。偵察してきてくれって。お前が女と別れたって教えてやったら喜ぶだろうなー。あたしも嬉しいし」
「人の不幸を喜ぶんじゃないよ」

 身内にばかりモテたって仕方がないんだけどな。
 溜息を一つ――まあ、それだけで済ませてしまうあたり俺は人より随分と薄情なんだろうと分かってはいるんだが。これも昔から同じ。落ち込むことのできない性分なのだから仕方がない。今回のことだって、俺は三日もすれば綺麗さっぱり忘れてしまうに違いないのだ。そうして一週間も経った頃には、彼女の存在もなかったことにしてしまうのさ。きっと道ですれ違っても、分からない。我ながら便利な特技じゃないか、まったく。

「……やれやれ。面倒なやつ、か」

 最低、なんて言葉よりよっぽど的を射ている。渋々それを認めて、俺は先に歩き出していた万里の後を追った。



「アイス、美千留さんの分も買って帰ろうか。万里はなにがいい?」
「キャラメルリボンとストロベリー!」
「どっちか一つにしなさい」
「えー、じゃあトーゴがストロベリーにして一口ちょうだい」
「俺はレモンソルベに決めているから。美千留さんのをストロベリーにしようか」
「だーめ。ママはチョコミントだもん。なあトーゴ、あたしストロベリーも食べたいー! 夏上のねーちゃんや鈴原のねーちゃんに頼まれたこと、話してやっただろー」
「……分かったよ。俺がストロベリーでいいよ。まったく」




END
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イベント恒例、Unhappy3本目。
恋人の日。3巻より前の話ということで。