取るに足らないある日の話





「ハッピーハロウィーン! 和泉君」

 神様が存在するのなら、訊いてみたい。
 俺は何故、こんな場所にいるのでしょうか?
(まあ、国香さんに口でも腕力でも敵わなかったせいだって分かってはいるんだけど)
 貴重な休日をこんな風に過ごす理由が分からない。もっとも――それは俺にとって、という意味ではないのだけれど。なんとなく胸を張って言うのは憚られるが、いわゆる社会人というやつではない俺は日頃からかなり自由に時間を使わせてもらっている。それこそ目の前でドミノマスクをつけてはしゃいでいる彼女――国香彩乃さんに知られれば、叱られてしまいそうなほどに。
(だから、どうせ暇なんでしょ――とか言われてしまうと断りにくいというか、なんというか)
 休日が貴重なのは国香さんの方で、新人の写真家としてはそこそこに名前の売れている彼女は俺とは違って仕事であちらこちらへ足を運んでいるらしい。どうしてか時折メールで報告してくるので、俺は不本意にも彼女の近況を把握してしまっていた。
 そんな彼女からアトラクション・リゾートに誘われたのは、つい一昨日の話だ。

「今の時期、ハロウィンイベントがやってるのよ。クライアントさんから貰ったチケットが二枚あってね。和泉君なら急な誘いでも大丈夫かなぁって」

 国香さんのそういう微妙に失礼なところが、俺は苦手だった。「悪かったですね。急な誘いでも大丈夫なほど暇そうに見えて。これでも遺品売買の仲介に入ったり、知人の個展に顔を出したりと忙しいんですよ。俺」と言って抵抗してみるも、説得力がないことは自分でも分かっていた。つまり、彼女の読み通りだったというわけだ。そんな後ろめたさもあって「じゃあ、予定があるの?」と訊かれた俺は、馬鹿正直に「いや、その日はありませんけど」――と、答えてしまったのだった。



「大体、この歳にもなってハロウィンではしゃぐなんて恥ずかしくないですか? 完全に、企業戦略に乗せられているんですよ。もっと時間を有意義に使いましょうよ」

 小声で抗議を試みてみる。けれど、それを聞き入れてもらえないのも、いつものことだった。国香さんは人の話を聞かない。というか、俺の話だけ聞いてくれない。自分は年上ぶった説教を好むくせに。

「あ、和泉君。あれ楽しそう! 行ってみようよ」

 指の先には、古めかしいホラー映画の住人たちが描かれたホラーハウス。国香さんの「楽しそう」の基準が分からない。ああ、もう! どうしてこの人は、こちらの意見を聞きもせずに引っ張って行こうとするんだろう。地面に足を踏ん張って必死の抵抗をする俺に、彼女は怪訝な顔で振り返ってきた。

「どうしたの、和泉君」
「いや、俺ああいうの嫌いなんで」

 嫌いなものは嫌いなので、素直に告げる。すると、国香さんは――なにがそんなに意外だったのか――目を丸くして、どうやら驚いたようだった。「え、うそ」なんて。いやいや、嘘だと思う理由が俺には分からないですよ。

「和泉君、絶対に好きそうだと思ったのに……!」
「なにを根拠に」
「いや、だって。死んでるじゃない。マミーもフランケンシュタインも、ヴァンパイアも。狼男は、生きてそうだけど……。あ、犬苦手だって言ってたっけ。そう言えば」
「いや、苦手なわけじゃなくて向こうに嫌われるだけっていうか……って違いますよ!」
 

 そういう問題ではなくて!
 生きていなければいいってものじゃない。この人の、こういう雑なところも苦手だ。俺の苦い顔には気付いていないのだろうか。国香さんは首を傾げて「難しいのね、和泉君の趣味って」なんて呟いている。難しい――とか言いながら、絶対になにも考えてはいないんだろう。

「大体、中にいる人は普通の人間じゃないですか」
「まあ、そうよね」
「知らない人に驚かされるのって、苦手なんです。俺」
「そういう言い方をするなら、得意な人なんていないと思うけど?」

 だから趣味がおかしいのだと遠回しに言っているつもりなのだけれど、国香さんには伝わらなかったらしい。「楽しいのに」と不服そうに呟いている。

「それに、ほら。仮装して入ったら入り口で写真撮ってもらえるんだって」
「俺、仮装してませんから」

 一人で行ってきてください。と、素っ気なく告げる。

「俺、あのベンチで座って待ってますんで」

 正直なところ、早起きに人の波、園内の浮かれたBGM、さらには国香さんに連れ回された俺は早々に疲れていた。ついでに言ってしまえば――十月末の空気はもう大分冷えていたが、それでも太陽が眩しいことには変わりない。ヴァンパイアではないが、できれば日の高いうちは外へ出たくないというのが本音だった。

「ええ!? なに言ってるの、和泉君」

 大仰な声を上げる彼女にひらひらと手を振って、ベンチへと向かう。やれやれと腰を下ろして、改めてあたりを見回せば。ジャック・オ・ランタンやコウモリ、ゴーストやウィッチといった装いのキャラクターで装飾された園内には、驚くほどにカップルが多かった。
(国香さんも、別の男と来ればいいのに)
 あの歳になって――と言ったら怒られそうだが。良い人の一人や二人、いないということもないだろう。強引でお節介なところにさえ目を瞑れば、女性としてまったく魅力がないというわけでもない。

「不毛だって思わないのかな」

 呟く。彼女は、そうは思わないのだろうか。
 考えていると、答えは背後から聞こえてきた。

「思わないわよ」

 と。
 こちらが振り返るよりも早く伸びてきた手が、俺の頭になにか、帽子のようなものを被せてくる。「国香さん」と、多分間違ってはいないであろう相手の名前を呼べば、彼女は苦笑交じりで肩越しに顔を突き出してきた。――近い。顔の位置が、近い。

「え、あ!?」

 思わず仰け反る俺には構わずに、国香さんが続けてくる。

「不毛だなんて、思わないわよ。私は和泉君とこうして会うこと、嫌いじゃないから」
「どうしてです」
「だって、楽しいもの。気を遣わなくていいし、気を遣われることもないし――こんな風に自分だけさっさとベンチで休んじゃう人なんて、滅多にいないじゃない」
「すみませんね。疲れやすくて」

 嫌味ですか。と言えば、彼女は笑い声を噛み殺しながら、首を振った。

「違うって。和泉君が我が侭だから、私も好き勝手言っちゃっていいかーって気になれるっていうか」
「褒めてませんよね」
「褒めてないわよ。でも、お互いに嫌なとこばっかり見て。それでも一緒にいることが苦痛じゃないっていうのは、素敵なことだと思うのよね」

 そんな勝手なことを呟いて、腕を引いてくる。

「仮装、してないから一人で行って来いって言ったわけでしょ?」
「え?」
「だから、帽子買ってきたの。似合うわよ。ほら、ホラーハウスに行きましょう!」

 一度だけ。ぽんと軽く俺の頭を叩いた国香さんは、楽しそうに笑い声を上げながら先を歩いて行く。どうにもむず痒い、けれどなんとなく抗いがたい雰囲気に、俺も仕方なく後に続いた。
(というか、この人、やっぱり俺の意見は聞かないんだな)
 苦痛じゃないなんて、俺は一言も言ってないのに。
 だけど、それを言ってしまうのも無粋な気がして開きかけた口を噤む。仮装した人の中に、いつの間にか人ではない存在が入り交じる日だ。本音も言い訳も、すべて仮装の下に隠して、今日くらいは普通の人と同じように楽しんであげてもいいかもしれない。

「今日だけですからね」

 小声で呟けば、一応は聞こえていたのだろう。国香さんは「今日だけね」となにやら含みのある風に言って、また笑った。




END

---------------------------

写真を撮った後で猫耳帽子だったことに気付くんですけどね。
そんな感じで、いつもの和泉といつもの彩乃でした。透吾も大概だけど、和泉とのデートも面倒すぎますね。彩乃以外には付き合ってくれなさそうな気もします。(その前に誘ってくれる人もいるかどうか……)
文句言いつつ和泉も断らないんですよ、と。