Unhappy Summer Vacation




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 ああ、面白い。
 あの仏頂面をした青年をからかうのは、本当に面白い。
 憂鬱な日のことを忘れたわけじゃァないが、気分はいくらかましになっていた。感情ってのはそういうものだ。酷く不本意そうな顔をしている高坂君を見ていると、俺の憂鬱さなんて大したことないんじゃないかって思えてしまうわけだ。
 だって、そうだろう?
 休日に苦手な相手に掴まって、夕食に誘われた挙げ句、友人だと紹介されてアウェーな場所に招待されてしまうなんてさ。その上、得意ではない子供のお守りまで押し付けられて。俺だったら嫌みの一つでも言わずにはいられないと思うね。
 リビングで万里とゲームを始めた彼を、俺は眺めた。コントローラーを握る手付きはぎこちない。万里はといえば、ゲームを教えてやると言ったくせに彼に説明書を投げただけで早々に使用キャラを選んでいる。大人げない――いや、実際に万里は子供だし、負けず嫌いでもあるからああなることは分かっていたんだけど。
 二、三戦もやってゲーム慣れしていない高坂君に完勝すれば、万里も満足してくれるだろう。彼がこの晩餐会に付き合ってくれたことは幸いだった。いつもは俺が万里の相手をしているんだが、俺は手加減があまり上手くない。少し加減を間違えると勝ってしまうし、負けてやろうとすれば酷くわざとらしくなってしまう。
(高坂君には悪いことをしたと思うけど、まあ一種の社会勉強ってやつだよな。これも)

「透吾君、お客さんを苛めたら駄目よ」

 笑いを堪えている俺を、美千留さんが窘めた。

「苛めてないさ。居心地が悪そうだったから、俺なりに気を遣ったんだよ」
「もう」

 溜息を吐くけど、そういう説教こそ万里にしてほしいものだ。俺は美千留さんに視線を移した。カラクサ葬祭代表という肩書きを持つ美千留さんだが、実をいえば俺は一度も彼女をそういう目で見たことはない。だって、彼女はいつだって母親の顔をしている。娘を守るために働く、娘には甘い母親。経営者としての顔と使い分けることができないあたり、不器用なのだろうなと思う。だからどうってわけじゃないけどさ。
 出会った頃よりはいくらか歳を取った彼女だが、綺麗な部類には入る。子連れでもいいから、と交際を申し込む男もそれなりにいるらしい。とはいえ、本人はまったく再婚を考えていないようではあった。
(あの人のことを忘れられない、のかな)
 どうだろう。分からない。万里は父親の名前を知らないし、この家に"彼"の存在を匂わせるものは写真の一枚さえなかったはずだ。
 そんなことを考えていたからだろうか。口が滑ったのは。

「……美千留さん、墓参りは行ったの?」

 なんとはなしにそう訊ねてしまってから、俺はすぐに後悔した。らしくない。案の定、美千留さんも驚いた顔をしている。

「いいえ」
「行かなくて、いいの?」
「どうしたの。あなたがそんなことを訊くなんて、珍しいじゃない」
「……高坂君に訊かれたからさ。墓参りは行ったのかって。だから、なんとなく。特に深い意味はないよ。なんとなく、訊いてみたくなっただけだ」

 好きで思い出したわけじゃない。無意識に素っ気なく答えて締まって、口を押さえる。しかし美千留さんは気にした風もなく、そう、と答えただけだった。慣れているとでも言わんばかりだ。
 付き合いが長いせいか、この人の前ではつい気を遣うことを忘れてしまいそうになる。

「でも、本当に珍しいわね」
「なにが?」
「友達。てっきりあなたと同じタイプか女の子を想像していたのに」

 話を混ぜっ返されるかと思って警戒した俺の耳に聞こえてきたのは、そんな意外そうな声だった。

「友達?」

 随分と間の抜けた単語に、少しだけ考えて気付く。高坂君のことだ。そう紹介してしまったのは面倒な説明を省くためだったのだが、美千留さんは彼を俺の友人と信じて疑っていないらしい。
 気まずい話題から話が逸れたことに少しだけ安堵して、俺は軽く頷いた。

「自分と違うタイプの方が面白いんだ。あと、女性をここに連れてくるなんて気の利かない真似はしないよ。女性って、男に自分よりも美人な知人がいることを嫌がるだろう?」
「もう、変なところばかり彼に似て……」

 嘆息交じりに零して――今度は美千留さんが口を押さえる。お互いにどうにも口が滑ってしまうのは、"死者が帰ってくる"という忌々しい日のせいかもしれない。俺は聞こえなかったふりをして、リビングでゲームをしている二人に声をかけた。

「万里、どう? 高坂君にゲームの操作方法を教えてあげているかい?」

 てっきり圧勝して上機嫌かと思いきや、振り返ってきた万里は涙目だった。

「トーゴ! こいつゲームやったことないって嘘だぞ! 強い!」
「へえ?」

 そういう風には見えなかったが。高坂君を見ると、彼は決まりが悪そうな顔でかぶりを振った。

「嘘じゃないですよ。格闘ゲームって操作方法さえ分かってしまえば、あとは相手のパターンを学習してそれに合わせたコマンドを入力するだけので、思ったより敷居が高くなかったというか。万里さん、子供ですし。ただ、俺もゲーム慣れしていないので手加減の仕方とかよく分からなくて……すみません」
「うう、馬鹿にしやがって……」
「していませんよ」
「じゃあ、俺が万里の敵討ちをしてやるかな」

 もう美千留さんと雑談を続けるような気分ではなかった。ほんの少しだけ言い訳くさくなってしまったことを気にしながら、立ち上がる。彼女がなにかを言うより先に、万里がタイミングよく叫んでくれたのも幸いだった。

「トーゴ、やっちゃえ!」
「……さっきは意地悪したから混ぜてやらないとか言っていたくせに」

 ぶつぶつと言いながらもコントローラーを放り出そうとしない様子を見るに、高坂君も少しは楽しんでいるのかもしれない。意外な才能ってやつかな、と思いながら美千留さんの傍を離れてリビングへ向かう。万里を挟んでソファに座ると、彼は微妙そうな顔をした。

「俺、なんでこんなところにいるんでしょうね」

 前言撤回。見た目に寄らず気遣い屋なだけで、楽しんでいるわけではないらしい。
 俺は思わず笑ってしまった。

「そういう日もあるさ。大人になると自分の思う通りにはいかないものだよ」

 なんて適当なことを言いつつ、操作キャラを選ぶ。
 スピード、パワー、テクニカル。俺はどれかと言えばテクニカルタイプが好きだ。操作に癖のあることで有名なキャラの一人を選んで、決定を押す。画面には、色の違う同じキャラクターが対峙していた。

「……高坂君も同じキャラを選んでいたのか。気が合うね」
「え? てっきり俺に対する当てつけで同じキャラクターを選んだのかと」
「俺はそんなに性格が悪そうに見えるかな」
「悪そうっていうか、悪いじゃないですか」
「なにか言った?」
「いいえ、別に」

 気詰まりのする話の後には、そんな中身のない会話がありがたい。
 けれど、やはり高坂くんの方はそうではなかったんだろう。

「藤波さん」
「うん? なんだい」
「これが終わったら帰らせてくださいね」

 画面の方を見つめたまま、そんなことを言う。まったく、冷たいな。

「遠慮がなくなったよな、君」
「遠慮していたら、このまま帰らせてもらえないんじゃないかと思いまして」
「確かに、明日は休みだし、万里は君を引き留めたがるかもな」

 ――どうだい、万里?
 と訊けば、万里はまるで名案を聞いたとでもいう風に目を輝かせた。

「イズミ、泊まってくの?」
「泊まりませんよ」
「えー、なんで! じゃあ、トーゴは?」
「帰るよ。俺が人の家じゃ眠れないこと、万里は知っているだろう?」

 頬を膨らませている万里に告げる。他人の気配のする場所で眠るなんて、冗談じゃない。流石に今日は一晩中起きているほどの気力はないからな――とまでは、口には出さなかったが。
 万里を挟んで、ぼそっと呟く声が聞こえてくる。

「藤波さんって、意外と神経質なんですね」
「意外というのは余計だよ。君は、見たまま神経質そうだけど」
「……それこそ、余計な一言じゃないですか」

 まったく、そのとおりだ。

「悪いね。今日はどうやってもいつものようにはいかないみたいだ」

 半分本音でぼやく。
 俺としてはわりと切実なつもりだったんだが、こちらの胸の内を知らない高坂君は顔色の一つも変えずに――いつもどおりじゃないですか――と、毒づいてくれたのだった。



つづく
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落ち着きのない透吾。