Unhappy Xmas
見上げれば天鵞絨の空に銀細工で作られたような月が浮かんでいた。星はそれほど見えないが、代わりに地上では色とりどりのイルミネーションが輝いている。そんな、聖夜。
(そう、聖夜だ)
と、男は独りごちた。巨大なクリスマスツリーのオブジェ。その下での待ち合わせというのは、なんともありふれている。面白味がない。実を言えば、彼は何故恋人たちがその下での待ち合わせを好むのかが分からなかったが――誘いを断るような理由もなかったので、素直に了承したのだった。
(まったく、忙しないったらないな。ハロウィンムードがやっと終わって一息つく暇もなく、クリスマスってんだから。それで、年越しに正月だろ。でもってバレンタイン、ホワイトデー、エイプリルフールに、ゴールデンウィークetc.etc……そうやってまた、一年があっという間に終わるんだろうさ)
と意味もなく毒づきたくなってしまうのは、殊更に寒いせいだろう。ふっと溜息をつけば、白い吐息が夜空にふわりと溶けて消えていく。道行くカップルをぼんやりと眺めながら、待ち合わせ場所を屋内に指定するくらいの気遣いはほしいものだ――と、また呟いて、両手を擦り合わせる。そうして、せめてもう少しでも風をしのげる場所はないかと周囲を見回したとき、
「げっ」
(「げっ」とは、また嫌われたものだな)
偶然に彼の姿を見つけると、藤波透吾はほんの少しだけ苦笑した。ツリーを壁にした風下で、周囲よりいっそう寒そうに縮こまっている人影がある。
「やあ、高坂君」
と。高坂和泉を見かけるたびに、そんな気障ったらしい呼び方をしてしまうのは、そうすると彼が酷く嫌そうな顔をするからだった。案の定、露骨に顔をしかめてみせた和泉を見て微笑をこぼしながら、透吾は彼の許へと移動した。
「……こっち来ないでくださいよ」
「断る。一人だけ寒さをしのごうとするんじゃないよ。若いんだから」
とはいえ、移動したところでそれほど暖かさを実感できたわけではなかったが。
「君も待ち合わせか?」
「ええ、まあ」
「俺もなんだ」
「そうですか」
暇潰しに会話でもしようと試みるが、和泉の返事は素っ気ない。それでもまったくめげずに、透吾は続けた。短い人生の中では、暇こそ最も憎むべきものである。
(それと、単純に寒いからな。黙って待ち続けるってのは)
胸の中で呟いて、
「ところで、君はいつもそんな恰好をしてるのか? ゴシックって言うんだっけ。なんか、コスプレみたいだよな。前にも思ったが。映画に出てくる吸血鬼とか、そんな感じじゃないか」
我ながら渾身の問いかけだ。と、透吾は少しだけ唇を緩めた。また嫌がられそうな話題ではあるが、少なくとも相槌以上の反応は望めるだろうと青白い青年の顔を見下ろす。そのまま、一秒、二秒。
「どうも」
和泉は顔色も変えずに答えた。たった、一言。
「褒めたわけじゃァないんだけどな」
「知ってます」
と。どうやら、彼には会話をする気がこれっぽっちもないらしい。気付いて、透吾は眉をひそめた。面白くない。つまらない。そして――やはり――寒い。手袋をはめた両手をコートのポケットに突っ込んで、唇を尖らせる。
「……もう少し、会話を盛り上げる努力をしたらどうだい」
「盛り上がりたいとも思いませんし」
「これからデートなんだろう? ウォーミングアップは大事だと思うぜ。特に君みたいなタイプはさ。そりゃまあ、どんな男でも好きって言ってくれる奇特な女の子はいるだろうが、それにしたってこういった特別な日くらい楽しませる姿勢を見せてやらないと飽きられる」
「デートなんかじゃありませんよ」
「それはまた……寂しい話だ」
思わず呟けば、ようやく相手をしてくれる気になったのか――或いは彼も寒かったのかもしれないが――和泉がうんざりとした視線を向けてきた。
「そういう藤波さんは、デートなんですか」
「そうだよ」
頷く。と、彼は何故かぽかんと口を開けた。
「何を驚くことがあるんだ」
そんな顔をされるのは初めてだ。女の扱いには、少なからず自信もある。そう、目の前でらしからぬ間抜け面をさらしている青年よりは、ずっと。
困惑しながら訊き返せば、和泉は面倒くさそうにぼそぼそと答えた。
「……そりゃまあ、どんな男でも好きだと言ってくれる奇特な女性はいるんでしょうけどね。それにしても、あんたみたいなタイプと付き合うなんて心の広い人もいたものだと」
随分な言われようである。
「多分気を悪くすると思うので敢えて訊きますが、相手のこと騙しているんじゃないですか? でないと納得できないというか。正直、あんたの性格は決して褒められたものではないと思いますし、何より相手をしていて疲れますし」
「男の顔が好きって女性は案外多いものだし、それに自分で言うのもなんだけど――俺は、世の中の女性が望む多くのことで概ね水準を上回っているからな。外見的なものもそうだし、年収も悪かない。頭だって、まあ馬鹿じゃァないつもりだ。ほんの少しだけ強引なところはあるんだろうけど、そういうのを好む女性も少なくはないと思う。賭け事はやらないし、こう見えて浮気するたちでもない。両親とは没交渉だから、そういった意味での煩わしさもない――問題があるとすれば、子供がそれほど好きではないことくらいだが、好きなふりくらいはできる。理想を満たしているとまでは言わないが、まあ及第点はもらえるんじゃないかな」
「そういうところが鬱陶しいっていう人は多そうですけど」
「人前でこんな風に自己評価をしたりはしないさ。頭がおかしいと思われる」
「…………」
彼は腑に落ちない顔をしていたが、すぐに考えても仕方ないと諦めたのだろう。
「……相手の顔が見てみたいですよ。勿論、同情的な意味で」
「社内ではなかなかに評判がいい子だ。仕事は早いし、気も利く。料理も上手いらしいし、身嗜みもしっかりしてる。あと、一般的に見て可愛い。ある種、理想的な彼女の典型ってやつじゃないかな」
「かなって、また他人事ですね。自分の恋人なんでしょうに」
「違うよ? 俺のことを好いてくれる奇特な子だけど、恋人じゃァない。誘われて、暇だったから今夜は付き合うことにした。それだけだ」
「……刺されればいいのに」
和泉はそんな物騒なことを呟いている。流石に刺されたら困るな――と、透吾は苦笑した。
「そういう君の相手は? 男?」
「女性ですよ。一応」
「ふうん。それじゃあ、俺と似たようなものだな。聖夜に恋人でもない女性とデート。夜景を楽しみながらのディナーに、お義理ばかりのプレゼント交換。で、ホテルへ行ってやることやって……といったところか。お互いに、なんとも不毛なことだ」
「一緒にしないでください。不愉快です」
「だろうね。君が嫌がるだろうと思ったから、言ってみたんだ」
笑えば、和泉が刺し殺さんばかりの目で睨んでくる。透吾はさりげなく視線を外して、また口を開いた。
「なあ、高坂君」
「なんです」
なんとなく呼びかけてみただけだったのだが――返事が返ってきたのは、少しばかり意外だった。透吾は話題を探して、ふと浮かんだくだらない疑問を呟いてみた。
「君はどんな子がタイプなんだ?」
「なんですか、その学生みたいなノリ」
呆れたように、和泉。
「いいじゃないか。黙って突っ立っているのも寒いし、暇潰しさ」
「まあ、そうなんだろうなとは薄々気付いてはいましたけど」
がっくりと肩を落として、
「そういう藤波さんは、どうなんです」
と。
「俺? 俺は……そうだな、明るくて元気のいい子が好きかな」
「意外ですね」
「もっとも、恋人にするならある程度は従順で俺を立ててくれる子がいいと思うけどな。なかなかいないんだ。そういう子は」
「なんで、好きなタイプと恋人にしたいタイプで違うんですか」
和泉は首を傾げている。彼はあまり恋愛をしたことがないのだろうな、と思いながら、透吾はあっさりと告げた。
「相性が悪いのさ。俺の好きなタイプの子ってのは、俺のようなタイプを嫌うものでね。俺も人に合わせるのが好きではないから、互いの意見が交わらないことも多い」
うまくいかないもんだ、と溜息を吐いて。今度は青年に促す。
「それで、君は?」
「俺は、清楚で可憐な女性が好きです。間違っても、こんな寒い夜に俺を呼び出した挙げ句、待たせるような女性ではなく――」
「ああ、確かに時間にルーズな女性には辟易だ」
「ですよね。なんといっても寒いですし、彼女さえ時間通りに来てくれていれば、こうしてあんたと無駄な時間を過ごす羽目にもならなかったでしょうし。本当に、なんでよりにもよって同じ場所で待ち合わせなんか……」
「本当に、君は俺のことが大嫌いなんだな」
あまりの潔さに、もう苦笑する気にもなれない。
「もう少し、隠そうとしてくれると嬉しいんだが」
「あんたを喜ばせてどうするんだって話ですよ」
とりつく島もない。まあ、あったところでそれこそどうするという話ではあるが。透吾は苦く笑って、携帯を探した。和泉ではないが――確かに、約束の時間を随分と過ぎてしまっている。周囲にカップルの姿が多いこの状況の中、男二人で待ちぼうけ――というのも、薄ら寒い話である。
(少なくとも、俺の柄じゃァないな。高坂君はどうだか知らないけど……)
と独りごちた、そのとき。
「和泉君! こんなところにいたの?」
妙にはきはきとした女の声が、和泉を呼んだ。彼は、その声にぴくりと反応するとほんの少しだけ顔を歪めて、遠くに視線を投げた。
「国香さん。遅いですよ」
と、道の反対側から駆けてきた女に開口一番で毒づいている。相手の方は、和泉の悪態に慣れているのだろう。腰に手を当てて、ぴしゃりと言い返した。
「遅いですよ、じゃないわよ! 和泉君が待ち合わせ場所を間違えてたの。携帯にも出ないし……。すっかり探しちゃった!」
「あ、マナーモード」
「もう!」
「……すみません」
「謝るのはあとでいいから! 予約の時間に遅れちゃう。走るわよ、和泉君!」
言うが早いか、女は彼の腕を掴んで走り出した。あとには、透吾だけが残される。
「なんだ、楽しそうじゃないか」
透吾は憮然と呟いた。
「明るくて元気のいい子だし。高坂君の方が、俺よりよっぽど嫌みだよ」
ぼやきながら、ふと気になって――携帯を覗く。
「あ」
着信が十件。メールが五通。
「参ったな。俺も、か」
重たい溜息を吐き出したその瞬間を見計らったように、十一件目の着信が届いた。珍しく罪悪感のようなものを覚えながら、電話に出る。
「ああ、夏上君? すまない。どうやら俺は、待ち合わせ場所を間違えていたらしい。ああ。そうなんだ。駅の逆側でね。クリスマスツリーのある。そう、君と見たいとばかり考えていたものだから。言っておくが、世辞なんかじゃァないぜ。楽しみにしていたのは俺も同じさ」
ひとしきり喋ると、相手はどうにか機嫌を直してくれたらしい。元より、心配こそすれ怒っていた風ではなかったが――通話の切れた携帯をまたコートのポケットにしまって、嘆息。
「まったく、とんだクリスマスだな。俺らにとっても、彼女らにとっても」
肩を竦めて一度だけ和泉たちが消えた方角に視線を投げると、透吾は反対に向かって歩き出した。
END
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イベントSS恒例のUnhappyな透吾と和泉。
クリスマスなのに甘さの欠片もなくてすみません。
人選からしてほのぼのは無理って感じですが。
多分、彩乃と和泉はそこそこほのぼのとしたクリスマスを過ごすんだと思います。彩乃リードで。