三輪秋寅の退屈な一日(後)







 一杯の紅茶と、他愛もないお喋り。とは、建前もいいところだ。相手の出方を探るような会話は好みではない。得意でもない。彼の暇潰しに付き合ったことを早々後悔して、秋寅は珍しく言葉少なだった。一方の店主はなにが楽しいのか、上機嫌に――最近、猫を飼い始めたのだという話を続けている。ノーブルというらしい。狐物語を知らない秋寅は、ただ気取った名前だとそう思う。黒猫ならば、クロでいい。その方が覚えやすいし、親しみも持てる。横暴にもそんなことさえ考えながら頷いていると、不意に鬼堂が話を振ってきた。

「そういえば、秋寅くんのところの猫はシロちゃんでしたっけ」
「いや、うちのは猫っていうか式神だけど」

 そう。式神だ。干支にかけて白虎を作ろうとした。そのなりそこない――と、妹や弟には笑われることが多い。まあ、概ねその通りだ。否定はしない。力ある式神の顕現は難しい。人のことを散々に笑う弟とて、試行錯誤で黄龍を作ろうとして、黄金のタツノオトシゴを生み出したことがある。結局、凝ることはやめて数で勝負しようと今の悪趣味に落ち着いたようだが。

「よろしければ、どうです? ノーブルの遊び相手に」

 鬼堂が美しい顔で笑う。
 奥の部屋から、にゃあと仔猫の鳴き声が聞こえた。

「いや、だからうちのは式神だから。限りなく猫に近いけど、式神だからさ。ああ見えて狭い範囲なら探索もできるし、侵入なんかもお手の物。少しなら意志の疎通も可ってやつ」
「……それは、ごく一般的な猫とそれほど変わりがないのでは?」
「あり?」

 首を傾げる彼に、こちらも首を傾げて。

「まあ、気が向いたら今度ね。今日は、どこにいるか分からないから。いつも、適当に遊ばせててさ。辰ちゃんや従兄さんみたいに、必須って感じじゃないから。俺の仕事」
「それは……ますます式神かどうか疑わしいですね」
「式神だよー。そういえば二十年くらい式符に戻したことない気がするけど」

 弟や従兄のように荒っぽい使い方はしないという、ただそれだけだ。途中から本物の猫に入れ代わっていた、なんて多分ないはず。まだ疑わしげに眉をひそめている鬼堂を神経質だなと思いながら、秋寅はティーカップに残った紅茶を飲み干した。
 本当は珈琲がよかったんだけどなと今更ながらに口の中で呟いて、さてこの空間からどう抜け出そうかと考えていると――丁度、カランとドアベルが音を立てた。
 おや、と驚く彼の声に振り返って、秋寅も少しだけ目を大きくする。

「従兄さん、と……」

 辰ちゃん。辰史。弟だ。
 珍しい組み合わせだった。祖父の元で修行をしていた頃でさえ、休日に連れ立って歩くことなどなかった二人だ。珍しいね。と思わず零せば、従兄は「まあこういう日もある」といつも通り、素っ気なく答えた。

「いや、ないでしょ。どうしたの? 決闘? それとも果たし合い?」
「どうしてお前はそう、大袈裟な言い方をするんだ……」

 大袈裟もなにも、この従兄と弟はつい先日果たし合いじみたことをしたばかりだったはずだが。そんな昔のことなど忘れてしまったとでも言わんばかりの顔をした二人に、秋寅はこっそり溜息を吐いた。

「ま、仲良くするのはいいことだけどね。腑に落ちないっていうか。どうせなら俺も混ぜてほしかったって言うか。ずるいじゃない。散々従兄さんの愚痴に付き合ってきた俺を捨てて、いきなり辰史に乗り換えるってんだから。従兄さんてば尻軽!」
「妙な言い方をするな、馬鹿」
「ったくだ。そうやって気持ちわりい言い方ばっかするから女にふられんだ、キモ兄貴」
「ひっどい! 辰ちゃん、酷い!」

 今までも散々罵倒されたが、キモ兄貴とは新しい。内心、よくもそんな悪口を思いつくものだと多少感心しながら――唇を尖らせたりしてみせる。なんとなく。相変わらずだなと溜息を零す丑雄とは対照的に、鬼堂の苦笑はなにもかもお見通しだと言わんばかりだ。
(なんか複雑な気分だよね。付き合いの長い従兄さんがまったく気付いてないってのに)
 或いは、鈍いからこそ愛おしく感じるものなのかもしれないが。
 猪突猛進正義漢な従兄や、傲慢高飛車な弟も決して付き合いやすいとは言えないものの、腹の内を探られない安心感がある。秋寅が二人の乱入に安堵していると、そんな空気を察したのか、鬼堂が口を挟んできた。

「で、お二人はどんなお話を?」

 二人が顔を見合わせる。
 おや、と秋寅は思った。

「もしかして、お互いの惚気話でもしてた?」

 と、これは軽口のつもりだったが、どうやら核心を突いてしまったらしい。
 ぱっと顔を赤くする丑雄――既婚者になってもう随分と経つというのに、いちいち初々しいのだ。この従兄は。流石、子供も作らず十年もひたすら妻を愛し続けているだけのことはある――と、自慢げな辰史――こちらは、もういい。たくさんだ。四年も秘密にしていたというだけあって、つい先日、濃縮された惚気話を聞かされたばかりだった。狐憑きの恋人がどれほどできた女か。愛らしい女か。運命。必然。魂の伴侶。比翼の鳥。連理の枝。ありとあらゆる言葉を尽くしていかに自分たちがお似合いか語るネジが緩んだ弟には、秋寅もうんざりだった。
 ああ、いいよ。わかったよ。と片手を振って遮る。けれど、自己中心的、本気で自分を中心に世界が回っていると信じて疑っていないような弟が話を聞いてくれるはずもなく。

「まあな。こいつが、相談があるって言うから」

 ふふん、と胸を張る。
 秋寅はぎょっとして、従兄を見た。

「え? 従兄さん、辰ちゃんに相談したの? 頭だいじょぶ?」
「……そう言われると、駄目なような気がしてくるな」

 従兄は途端、自信なげな顔になった。辰史が不満げに吠える。

「なんでだ! 俺と比奈はまっとうな助言をしてやっただろうが」
「お二人のまっとうは、世間的に言って少しやりすぎな場合が多いですからね」

 フォローするかと思いきや、鬼堂も苦笑顔だった。

「ごめんね、六さん。もしかしてうちの弟が迷惑かけてる?」
「まあ独り身ですからねえ。たまには辛くなることもありますよ、惚気話を聞いていると」
「あれれ、六さんでも人肌恋しくなったりするわけ? ちょっと親近感」

 それは、嘘ではない。この、絵本の中の姫君しか愛せないような男にも人間的な欲求があるのかと興味深く思いながら、秋寅は鬼堂の顔を窺った。相変わらずの人形めいた彼の顔に、やや愛嬌めいたものを浮かんでいるように見えるのは気のせいだろうか。

「ええ、勿論」
「人間相手に? 欲情したりするの、六さんでも?」

 生真面目な従兄が、おい秋寅――と窘めてくるが。

「ええ、人間相手にも」
「……俺はそれ、聞きたくなかったな。お前はもっとメルヒェン的な存在だとばかり」

 意外にもロマンチストな弟は、複雑そうな顔をしている。

「メルヒェンってねえ、三輪くん。グリムだってアンデルセンだって、内容は結構な大人向けじゃないですか。そりゃあ、君が大概夢見がちだってことは知っていますけれど」
「俺が夢見がちっつうか、比奈が夢見がちな俺が好きなんだよ」
「いやー、辰ちゃんは昔っから夢見がちだったじゃない。夢の中の女の人が〜って」
「うっせえ。ぶっ飛ばすぞ、兄貴」

 おお、怖い。
 笑いながら――とはいえ引き際を見誤ると本気で蹴られかねないため――秋寅は立ち上がった。適当な会話で空気も暖まって、席を外すにはいい頃合いだ。

「従兄さんは、泊まってくの?」
「いや、帰る」
「だったら、そろそろ行かないと夕飯まずいんじゃない? 一緒に帰ろうよ」

 そういえば伊緒里に連絡を入れていなかった――と慌てて携帯を取り出す従兄の背中を押して、店を出る。

「じゃあね、六さん。辰ちゃん。また来るよ」
「あ、ああ。よく分からんが、またな」

 なにをしに来たのかと怪訝な顔をしている弟にひらひらと手を振って歩き出す。しばらくすると、メールを送り終えたらしい丑雄がぽそりと呟いた。

「お前は――」
「ん?」
「六さんのこと、苦手だよな」

 一瞬、なにを言われたのか分からなかった。
 遅れてぎくりと視線を上げると、従兄は苦く笑った。

「鈍い俺でも、それくらいは分かる」
「あ、そ。だったら、気を利かせてもっと早く帰ろうって言い出してくれてもよさそうなものじゃない。従兄さん」

 なんとなく決まりが悪くなって早口で捲し立てる。

「もしかして、面白がってたわけ? 従兄さんがそんなに性格が悪かったなんて知らなかったよ、俺」
「お前の引き攣った顔は、そうそう見られるものではないからな」
「え、嘘。そんなに引き攣ってた?」
「いいや。カマをかけてみただけだ」

 ――意趣返しだ、いつもの。
 と肩を震わせている。
 珍しく悪趣味なことをする従兄に、秋寅は――まったく、今日はつくづく嫌な日だ――と内心毒づきながら、今度こそ本当に顔を引き攣らせたのだった。





END.