三輪辰史の意外な一日(後)







「じゃあもう普通に愛してるとか言えよ」

 この朴念仁が、と思いつつ――辰史は、それでも一応は助言らしきものを投げながら、テーブルの隅からメニューを取り上げた。珈琲だけで居座るには、そろそろウエイトレスの目が痛くなってきた頃合いである。小腹も空いてきたことだしと適当な軽食を注文して、また従兄に視線を向ける。丑雄は無言で――考え込んでいたというよりは、絶句していたようだった。
 視線が交わる。彼の顔は、困り果てているようにも見える。

「……唐突すぎないか?」
「そうか? 俺はよく言うぞ」
「それでよく薄っぺらいと思われないものだな」

 呆れているらしい。嘆息する丑雄に、辰史はますます眉をひそめた。
 薄っぺらいとはどういう意味か。分からない。和解したとはいえ、いまいち話が噛み合わないのは相変わらずだ。

「確かに外野からは愛情表現にやや問題があると言われるが、そういう指摘は初めてだ」
「本当か? お前の周りがおかしいんじゃないのか?」
「まあ、確かに俺の周りは変なやつばかりだが……」

 なにせ誰も彼もが“一般的”とは言い難い。
 自分のことを棚に上げて、辰史はううんと唸った。

「可能性は否定できん。やつら、むしろ重たいとか言いやがるし。けど朴念仁のお前から見て軽いなら、軽いのかもしれないな。これは俺もなにか考えねえと……」

 早速今夜あたり比奈の部屋におしかけてみようかと考えかけて、今は従兄の相談に乗っていたのだったと思い出す。
(いやいやいや、逆に助言されてどうするよ)
 祖父の墓前に和解を報告しに行くためにも、ここは従兄に恩を売っておきたいところではある――恩を売ってなにをするというわけでもないが、力を貸すという言い方はなんとなく決まりが悪くなってしまう辰史だった。
 こほんと、咳払いを一つ。

「まあ、あれだ。唐突さが気になるなら唐突じゃねえシチュエーションを作りゃいいっていうか、独立が決まってんならその前に一度二人で旅行に行ってみるとか――すりゃいいじゃねえか。それまではうちの親父がどうにか仕事を回せばいい話だし、それが無理そうなら暇してる秋寅にでも手伝わせりゃいい」
「いや、店を持っている秋寅よりもお前の方が暇なのではないかとは思うが……」

 都合の悪い呟きは無視して、辰史は更にまくし立てる。

「いつもと違う旅先なら、お前みたいな朴念仁でも雰囲気作りやすいと思うぜ。旅館で露天でも貸し切って、二人でゆっくりしたいとでも言えば向こうもなんとなく察してくれんだろ。お前に十年も寄り添うって、相当に出来た女なんだろうし――」

 なにせ、昔から丑雄と連んでいるように見える秋寅でさえ付かず離れずと一定の距離を保っているほどだ。辰史に至っては幼い頃から仲が悪かったし、ここ十年は絶縁もしていた。もっとも、丑雄の方も比奈を指して “四年も従弟と付き合う酔狂な女”と言うに違いないが。
 従兄は納得したような、納得していないような、微妙な顔をしている。

「助言は素直に感謝するが、さっきから朴念仁朴念仁と突っかかってくるのはなんなんだ」
「突っかかってねえよ。本気でそう思ってるから口に出ちまっただけだ」
「一応確かめておくが、それは別に喧嘩を売っているというわけではないのだな?」
「ああ。誰が好きこのんで喧嘩なんか売るか」
「……いや、悪かった。十年のブランクで、お前がそういう性格だったことを忘れていた」

 なにかを諦めるように溜息を零して、丑雄もウエイトレスを呼び止めた。こちらは意外にも軽食ではなくパンケーキを頼んでいる。運ばれてきたクラブサンドに手を伸ばしながら、辰史はぼんやりと比奈のことを考える――そういえば彼女にも、随分と心配をかけてしまった。あれからも比奈は食事を作りにきたり稲荷運送の仕事のフォローをしてくれたりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
(俺も人のことは言えないか。大概、比奈に甘えすぎだ)
 この際、自分も比奈を旅行に誘ってみようか。
 そんなことを考えていると、丁度レジの方へ歩いて行く二人組が目に入った――比奈だ。長身の女と連れ立っている。友人だろうか、それにしては見覚えがないなと思いながら、辰史は彼女たちに声をかけた。

「おい、比奈! 奇遇だな」
「あ、辰史さん――と、丹塗矢さん?」

 恋人は小首を傾げている。丑雄との一件はもう完全に消化してしまったのだろう。丑雄を見る瞳から、好戦的な色は消えていた。代わりに疑問を浮かべている彼女に、説明する。

「こいつ、既婚者だろ。かみさんになにかしてやりたいって言うから、相談に乗ってたんだ。でさ、お前だったら二人で小旅行とかどう思う?」
「いいですね。いつもはなんやかんやで邪魔も入るので、仕事とか周囲のこととかまったく気にしなくていい状況で相手のことを独占できるって、わたしだったら嬉しいです」

 とは、嬉しいことを言ってくれるものだ。
 辰史の言うことには半信半疑の様子だった丑雄も、妻と同じ女の意見ということで信じる気になったのだろう。興味深げに頷いている。それから少し視線を上げて、訊ねた。

「仮に贈り物をするとしたら、女性はどういうものを喜ぶのだろうか」
「個人差があると思いますよ?」
「一般的に、でいいんだ。あまり大仰過ぎはせず、けれど多少は特別感のあるような」
「結構、面倒くさいこと言いますよね」

 比奈が肩を竦める。
 辰史としてはそれも気になっていることではあった。なんというかこう、思念世界での一件から気安すぎやしないかと――誰に対しても一歩引いたような彼女がこうもぞんざいな言い方をするのはどういうことかと訝ると、それに気付いたらしい比奈が付け加えた。

「あ、すみません。お互いに一度ずつ相手の生殺与奪を握ってしまったので、遠慮する必要性を感じないというか。向こうから帰ってくる間も、散々喧嘩をしましたし……」

 そんな彼女に、丑雄も頷く。

「そうだな。今更、好かれたいとも好かれているとも思わんから相手を不快にさせない言い方を考える必要もないというやつだ。とりあえず釘を刺しておくが、お前が妬く必要はないぞ。俺は彼女のことが先日までとは違う意味で苦手だし、ある意味ではお前と似合いだと思っている」
「……そりゃどうも」

 褒められている気は、まったくしないのだが。
 辰史は複雑な顔で頷いて、また比奈に視線を向けた。

「で、こいつはかみさんになにを贈ればいいと思う?」
「旅先の夜に、とかでしょう? だったら旅館にでも頼んで夕食でサプライズとか……気安く着けられるようなアクセサリーなんか荷物にならなくていいと思いますけど」
「そっか、サンキュ。そっちも知り合いといるのに、呼び止めて悪かった」

 今更ながらに気遣いのできる彼氏を演出しようと、彼女の後ろに隠れている女にも――悪いな――と、声をかける。余程の人見知りなのか、俯くばかりで返事は返ってこなかった。そんな二人を見送った頃には、丑雄も覚悟を決めたらしい。

「よし。おかげで、大体の予定は組めた」
「早いな」
「伝えるべきことがあるときは、早い方がいい。そう、先日の一件で学んだからな」

 苦く笑う。従兄に、辰史も「違いない」と、苦笑で返したのだった。