名島瑠璃也の憂鬱な一日(後)







 店内が想像したよりも空いていたことに、名島瑠璃也はほっとした。
 安堵に胸をなで下ろしながら、なるべく目立たない席を探す――が、隣で同じように周囲を見回していた比奈は外のよく見える窓際に空席を見つけると「あそこにしようか」と止める暇もなく歩いて行ってしまった。彼女はこんなにマイペースだっただろうか、と首を傾げながら、とはいえ呼び止めるために声を上げれば人の注意を引きつけてしまいそうで恐ろしかったので、素直にその背を追う。
 可愛らしい制服を着たウエイトレスに、比奈が珈琲とラズベリーのたっぷり載ったタルトを、瑠璃也がミルクティーとガトーショコラをそれぞれ注文する。先に運ばれてきたミルクティーに、瑠璃也がガムシロップを注いでいると、比奈は携帯を取り出した。

「どのタイミングで撮る?」
「ああ……えっと……」

 ティースプーンでカップの中身をぐるぐるとかき混ぜながら、瑠璃也は考える。無難にこのあたりで撮ってもらうべきなのか、それとも開き直ってケーキを前にピースの一つでもしてみせるべきなのか。どう思います、比奈さん。と訊ねると、彼女はぱぁっと顔を輝かせた。その目が微かに狐憑き特有の赤を帯びているように見えたのは、気のせいではないのだろう。

「じゃあ、ケーキがきてから。こう、フォークで刺して口元へ運ぶ感じで」
「いや、そこまでポーズにこだわられてしまうと俺も友達に引かれそうなんですけど……」
「大丈夫。すごく可愛いから! わたしが保証するわ」
「そういう問題では――」

 ない。
 もごもごと小声でやり取りしているうちに、ケーキが運ばれてきてしまった。
 生クリームの添えられた、ガトーショコラ。美味しそうだ。いつもならこの瞬間にも飛びついていたところだが、このシチュエーションにどうしても気分が沈んでしまう。
 小さな銀色のフォークを片手に、瑠璃也はいっそう縮こまった。窓の外を歩いている通行人に、ちらちらと見られているように感じてしまう――というのは過剰反応に過ぎるのだろうが。
 向かいに座った比奈は、携帯を片手に満面の笑みを浮かべている。

「綺麗に撮れるアプリがあるの」
「あの、普通でお願いします」
「どうせなら、太郎くんたちのことびっくりさせたいって思わない? 似合わない女装を笑いものにしようとしていたのに、美少女が! なんて相手の当てを外して唖然とする顔を見るのも、楽しいと思うわよ」

 瑠璃也は思わず、比奈の顔をまじまじと見つめてしまった。

「それって、冗談ですよね?」
「どうかしら?」

 ああ、彼女はとっくに周囲の人間に毒されてしまっていたのか。その返事を聞いた瞬間、瑠璃也は嘆かずにはいられなかった。
 失意のままに観念して、もうどうにでもなれとフォークでガトーショコラを切り分ける。比奈の言う通りだ。もうこうなったら、とことん可愛い子ぶって友人たちの顔を引きつらせてやるくらいしなければ割に合わない。そんなことを思いながら、一切れを上品に口元へ運んで、自暴自棄に微笑む。

「はい、笑って」

 控えめなかけ声とともに、ファンシーな音が鳴った。
 二回、三回、四回……
(ってええええええ!!! 多い! 多い!)
 フォークを置いて、慌てて両手で顔を隠す。

「ちょっと、比奈さん連写はやめてください! 連写は……!」
「あ、ごめん。楽しくなっちゃって、つい」
「ついじゃないですよー。もう、勘弁してくださいよー……」

 日頃の――いろいろと溜まっているには違いない――鬱憤を晴らされているのではないかと疑いたくなる瑠璃也だった。顔を隠した手の間から、じっとりと恨みがましげな視線を向けると、彼女は初めてやり過ぎたことに気づいたらしい。携帯を瑠璃也の方へ寄せながら、ごめんね、と少しだけ眉尻を下げてみせた。
(うう、ずるいなぁ)
 携帯の画面に映った自分と、比奈の顔とをこっそり比べながら、瑠璃也は胸の内で呟く。綺麗に撮れるアプリ、と言うだけあって確かにそれらしくは撮れている。知人でさえぱっと見ただけでは――口元のほくろに気づかなければ、それが瑠璃也であると分からないかもしれない。けれど、それだけだ。
 急ごしらえにしては出来がいいというだけの話にすぎない。まじまじと本物――愛嬌のある顔で済まなそうにしてみせる比奈を見ていると、改めて感じる。彼女は、女性だ。

「さ、罰ゲームは終わり。ここからは、楽しくお茶にしよう?」

 そう言って繊細な指先で、フォークをつまみ上げる。その仕草も、ゆるりと笑んだ唇も――なにがどうとは感覚的なものでしかないが――これはあの男も溺愛するだろうな、と。納得せざるをえないところがある。無い物ねだりをしたくもなる。
(ああ……俺も、彼女がほしいなぁ)
 と思いつつ。そんなことを口にすれば、また思念の姫君たちから浮気者と罵られかねないと恐れもしつつ。苦笑混じりに頷いて、瑠璃也もカップに口を付けた。いつも通り甘い――太郎には「ガムシロップの味しかしない」と言われるほどに甘くしたミルクティーにようやく人心地ついて、

「あ、チーズケーキも頼んでいいでいいですか?」

 メニューを指しながら小首を傾げてなどみる、そんな余裕も生まれた。比奈が頷く。

「ええ。他にも食べてみたいものがあったら頼んでね」
「じゃあ、シフォンケーキも。比奈さん、半分こにしません?」

 彼女の言う通り、憂鬱な罰ゲームはひとまず終わりだ。素直に午後の茶会を楽しもうと、瑠璃也は通りかかったウエイトレスを呼び止めたのだった。