本屋と使い魔?






「遅れてすみませんーん!」
 幻影書房の裏手から店内に入った瑠璃也は、返事の代わりににゃあという鳴き声を聞いて首を傾げた。店主が新しい本を仕入れてきたのだろうか(普通、本は鳴かないが彼の仕入れてくるものに常識を求めるだけ無駄であることは分かっている)と思いつつ、ひょいと店の方を覗く。造り物のように美しい店主がアームチェアに深く腰を掛けているのはいつもどおりだ。
「鬼堂さん?」
 声をかけると、店主――鬼堂六は椅子ごとくるりと振り返ってその涼しげな眼差しを向けてきた。それもいつもどおりだ。ただ一つ違うことがあるとすれば、
「……猫?」
 金色の目をした小さな黒猫が、膝の上に乗っている。
「どうしたんですか、その猫」
「辰史くんに頼まれたんですよ。預かってくれと」
 首を傾げる瑠璃也に、鬼堂が答えた。
「三輪さんに?」
「なんでも、十間くんが拾ってきたという話でしてね。比奈さんが二晩ほど預かったようなんですが、ほら――辰史くんはあれでしょう?」
「ああ、あれですね」
 あれだけで伝わってしまうのもどうなのか。しかしこの可愛らしい仔猫に比奈が夢中になってしまっただろうことは容易に知れたし、そのために辰史が大人げなく嫉妬しただろうことも想像に難くなかった。
 頷きながら、瑠璃也はあらためて黒い仔猫を眺めた。黒猫は鬼堂の膝の上で、驚くほど馴染んでいる。赤いリボンのついた首輪は真新しい。彼が付けたのだろうか。ほっそりとした指先で小さな逆三角形の額を撫でてやる鬼堂の顔は、心なしか上機嫌に見える。
「飼うんですか?」
「まあ、飼い主が見つかるまでは」
 そんなことを言いつつも「名前はどうしましょうか」と続けるあたり手放す気はないのかもしれない。
「ユリーカとダイナ、瑠璃也くんはどちらがいいと思います?」
「オズの魔法使いと不思議の国のアリスですか。どっちにしても俺が変な世界に連れていかれそうなのでやめてください」
 これも幻影書房では実際にありえそうなので笑えない話だ。思念世界に連れ込まれないとも限らない、と瑠璃也が慌てて反対すると鬼堂は少し残念そうにしていたがすぐにパッと顔を上げた、
「ではノーブルにしましょう」
 ――というと、狐物語に登場するライオンの裁判官だ。
「ティボルトじゃなくて?」
「猫の王様にしろジュリエットの従兄にしろ、ティボルトはろくな目に遭いませんからね」
 にっこりと微笑んで、膝の上で伸びをしている猫に話しかける。
「ねえ、あなたもそれがいいと思うでしょう?」
 仔猫は素知らぬ顔をしているが、鬼堂も構わず仔猫の前足を持って勝手に“賛成”のポーズを取らせている。この人がこんなふうに遊ぶのも珍しいなと思いながら、瑠璃也は傍のフックにショルダーバックを掛けた。
「で、今日はそのノーブルと店番をしていればいいんですか?」
「ええ」
 頷いて、鬼堂は膝の上から抱き上げた黒猫を瑠璃也の胸に押し付けた。
「私は買い出しに行ってきますから」
「仕入れですか?」
「いいえ?」
 彼はなにを言っているのかとでもいうふうに眉を顰めている。
「仕入れよりも先にすべきことがあるでしょう。猫缶とケージと、トイレ砂――他にはなにがいりますかね。ああ、裏も模様替えしなくては」
「へ」
「ああ、瑠璃也くん。その子が本で爪を研いでしまわないようにきちんと見ていてくださいね」
 優雅に微笑んで、それでも心なしか急いた足取りで店を出て行く。わけも分からないまま残された瑠璃也は、相変わらずマイペースに欠伸をしている腕の中の仔猫に視線を落とした。
「……お前、すっかり気に入られたなぁ」
 なんだか呆然としてしまって、呟く。大層な名前を付けられた黒猫は、当たり前だと言わんばかりににゃあと鳴いて、蜂蜜のように濃厚な金の瞳で瑠璃也を見上げた。




おわり(?)

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猫の日にやっつけで書いたSS。
各キャラのその後も〜とコメントをいただいたので、そのうち書ければと思います。