雪に落涙
***
それから見合いはつつがなく進行した――と言うべきなのだろう。
長い、長い、そして長い、形式張った退屈な挨拶は旧い家のやり方に慣れた伊緒里ですら欠伸したくなるほどだった。丑雄の方は流石に慣れたものなのか、生真面目な顔で一々相槌を打っていたが。伊緒里が再び彼と二人きりになれたのは、そんな両家の契約にも似た話し合いが済んだあとだった。
「あとは当事者同士で、ね。伊緒里」
母の使った“当事者”という単語に、自然と苦笑が零れた。たとえば伊緒里が余程ぶしつけな振る舞いにでも出ない限り、この縁談は成就するのだろう。当事者同士がなにをする必要もなく。羽黒家は丹塗矢家を通じた三輪との繋がりを欲しているし、丹塗矢家の若い当主は当主としての体裁を繕うために一刻も早く妻を娶るよう強いられている――この状況で、当事者たちの自由になることなどない。一つとして。
他人事のように考えながら、未来の夫の言葉を待つ。ややあって、彼は口を開いた。
「伊緒里……さん」
遠慮しているのか。どこか決まり悪げに口ごもる彼に、伊緒里は微笑んだ。
「伊緒里で結構です。丑雄さん」
そう告げたところで、呼び直してもらえないだろうとは分かっていた。案の定、丑雄は少し唇の端を歪めて笑みとも呼べないような愛想笑いを作ってみせただけだった。
「――この縁談について、あなたの率直な意見を聞かせていただきたい」
「わたしの意見とは?」
「ですから……気が進まないとか、まだ嫁ぐには早すぎるとか、いろいろあるでしょう」
「それを知って、どうなさるおつもりですか?」
互いに、個としての主張が許される立場でもない。そのことは彼とて分かっているだろうに。眉をひそめる伊緒里に、丑雄は気乗り薄な顔で答えてきた。
「たとえあなたがこの家では大人の女性として扱われていようと、まだ大学生でしょう。うちに嫁ぐとなれば中退させてしまうことになるし、卒業までの二年を丹塗矢の事情で奪ってしまうというのは気が引けます」
「まあ……」
としか言いようもなく、伊緒里は口元に手を当てた。
まさか――と言うほど相手のことを知っているわけでもないが、彼の口からそんな言葉が出るとは思いもよらなかったのだ。驚く伊緒里を尻目に、丑雄は続けた。
「羽黒家の娘さんなら俺でなくても相手には困らないでしょうし――三輪がいいとおっしゃってくださるのなら本家の末っ子を紹介します。年齢的にはあれの方が、あなたとも近い」
「丑雄さんは、わたしではご不満ですか?」
「いえ、そういうわけでは」
ない、という顔ではなかったが。
「では、なにが?」
なにがいけないのか。分からない。まったく、分からない。
「そうして、わたし個人に気を回されるのは……丹塗矢家の当主らしくないと思います」
自分でも理由の知れない苛立ちを覚えて、無遠慮に告げる。丑雄は気を悪くしたふうもなく、そうでしょうねと頷いた。
「俺も、この歳で跡を継ぐことになるとは思いませんでしたから。正直、実感もない。自分にない覚悟を他人に、しかも年下の女性に求めるのは横暴でしょう」