セーラー服と不幸なアルバイターの話







「やあ、似合うね。比良原くん」

 嫌みな男はこちらの姿を一目見るなり、いつも通りの鼻持ちならない笑顔でそう言った。ある意味、鉄面皮だ――と思いながら、比良原貴士は彼の顔を睨み付けた。藤波透吾。それが男の名前である。どうしようもなく嫌みで、すかしていて、格好付けしいで、何故か女からの評判はいい。
(性格わっりいのに……)
 雇われの身でなければ――生活に困窮していなければ、今この瞬間にも、もう三度ほどは彼を殴り倒してしまいたいところではある。 
 足の間が、酷く心許ない。というか、寒い。無意識に両手で押さえてしまって、そのポーズの女々しさに気付いてダメージが募る。ああ、どうして。と嘆いたところで仕方のない話でもあったのだが。
 睨み合うこと数秒。先に音を上げたのは、珍しく透吾の方だった。彼は引き結んだ唇から、ぷっと息を吹き出し、これまた珍しく腹を抱えて笑い出した。

「なんて、嘘だけど。ごめん。本音を言わせてもらうと、滑稽でたまらない」
「この――」

 くそ野郎が。と、今回ばかりはそれを口にしてしまっても許されるような気もしたが。それでもどうにか堪えたのは、彼に立て替えてもらっていた美容院代のことを思い出したからだった。文句があるならバイトを辞めてくれてもいいんだぜ。勿論、金も返してくれよ――そんなスマートでないことを彼が言うとも思えなかったが、頼る人も他にいない現状では、さすがに慎重にならざるをえなかった。
 つまり、こういうことだ。
 いわゆる歓迎会という名の飲み会の席で、なにを思ったのか学生のノリでゲームを始めた人がいた。それは、目の前の男ではないのだが。その頃には大分できあがっていた人も多かったので、罰ゲームも過激になりがちだったのだ。たとえば、この藤波透吾などは女性社員に愛の告白をさせられていたし(歯の浮くような台詞を言わされて、彼の顔も引きつっていた)別の男性社員は一次会の飲み代を支払わされていた。男ばかりが罰ゲームの餌食になったというのは、女たちの結束の方が強いためか。新人とはいえ貴士も例外ではなく――

「いや、ほんと、鈴原くんも容赦ないね。セーラー服を着て、写真を一枚。なんてさ」

 透吾は目の端に涙を浮かべて、けらけらと笑っている。

「しかもそれを俺に撮らせようってんだから。ここだけの話、彼女だけは恋人にしない方がいいと思うね。こういうえぐい罰ゲームを思いつく子ってのはさ、恋人と喧嘩をしたときにも同じようなやり方で憂さを晴らそうとするものだよ。たとえば、弁当箱を開けたら逆日の丸弁当だったとか――そういう経験、ないかい? 俺は一度だけあるんだけど……」
「いや、ねーっすけど」

 力なく、そこだけは否定しておく。

「あ、そ。意外」
「というか、それこそ意外っすよ」
「なにが?」
「藤波さんが、そうやって女を怒らせるって」
「ああ、そのときは完全に濡れ衣だったんだよ。美千留さんと歩いているところを見られてね、浮気でしょって。浮気じゃないって言っているのにさ。どうしてか、信じてくれないんだよ。俺が好きなのは君だけだって、まあこれも嘘ではなかったんだけど、今思えば胡散臭い台詞だよな。完全に失敗だった……」

 放っておけば延々と喋っていそうな彼を、貴士はうんざりと遮った。

「どうでもいいっすから、早く終わらせてくれませんかね。股がスースーするんですけど。こう、まっぱのときみたいな開放感があるわけじゃねーんだけど、なんか落ち着かねっつか。気持ち的には、こう、着替えをじっと見られてるときの感覚に近いってか。女が階段でスカートの裾を押さえて上る気持ちが分かるってか。なんか、こう、複雑なんすよ」
「そういう具体的な感想は聞きたくなかったな」

 微妙そうな顔で呟いて、彼がやれやれとデジカメを構える。

「さ、ポーズを取ってくれ。仁王立ちじゃつまらないだろ」
「そんなこと言われたって」
「女性に受けが良さそうなのをさ。たとえばスカートの端をぎりぎりまで持ち上げて――」
「それはあんたの趣味だろーが」
「失礼な。可憐な女性ならともかく、俺には女装した野郎の汚い足を見て喜ぶような趣味はない」
「この、」

 くそ野郎が。とは、やはり飲み込んでおいたが。
 毒づいていても仕方がないので、渋々彼の言うとおりスカートの端を持ち上げてみる。情けなくて死にそうだ。むしろ、死にたい。どうして巴の許を飛び出してきてしまったのかと、そのときばかりは後悔した。藤波透吾は完全に他人事で、やれ面白くないだの、サービス精神が足りないだのとぼやいていたが、それでも何枚か(一枚だけという話ではなかったのか)貴士の情けない姿をカメラに収めて、ようやく気が済んだらしかった。

「はい、おしまい」
「……どーも」

 もう文句を言う気にもなれずに、がっくりとうなだれる。そんなこちらの様子を見て、さすがに同情してくれたのか、彼はタオルと着替えを投げてきた。

「あまり悪いように取らないでくれよ。ちょっとふざけすぎた感じはするが、彼女らなりに君と仲良くしたがっているというか。ま、可愛い大学生が入ってきてはしゃいでしまったんだろうさ」
「はあ」
「俺も、君が早くうちに馴染んでくれたら嬉しい」

 にっこりと。やはり作ったような微笑を残して、部屋を出て行く。彼はさも上手く同僚をフォローしたような空気を作っていったが――閉まった扉を見つめて、貴士はようやく毒づいた。

「……つうかテメーが一番、悪ふざけが過ぎんだよ。くそが」



END
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セーラー服お題を消化するためだけの話。