バレンタインにごねた男の話
「お前も大概、瑠璃也のことが好きだよな」
四つ年下の恋人を後ろから抱き込みながら、三輪辰史は唇を尖らせてそう言った。彼女――天月比奈は先程から熱心に、バレンタインにちなんだ贈り物のギフトカタログを眺めている。ページの隅に貼り付けられた付箋には、名島瑠璃也。あのお気楽大学生の名前が丁寧な字で書き込まれていた。
「何がですか?」
手を止めて振り返ってくる――その無防備な横顔が、今はなんとも面白くない。辰史は恨めしげな視線で比奈を一瞥すると、拗ねたようにそっぽを向いた。
「あんなガキには5円チョコでもくれておけばいいんだ。どうせ味なんて分からないだろ。あいつ、馬鹿舌だし」
「そうでもありませんよ」
不機嫌の理由にようやく気付いてくれたのだろう――けれど比奈は脇へとカタログを寄せて体を半分ほど振り返らせながらも、かの大学生を庇ったのだった。そのことも、面白くない。辰史はほんの少しだけ頬を引き攣らせたのだが、彼女はそれに気付かなかったらしい。
「瑠璃也君、甘いものに関してはすごく舌が肥えていて」
「けっ、あの糖尿病予備軍が」
「それに、せっかくのお誕生日ですし。毎年、誕生日プレゼントで代替されて義理チョコすらもらえないんだって嘆いていたので――」
まったく、その優しさには涙が出る。
「俺にもそれくらい優しくしてくれると嬉しいんだが」
子供じみた嫉妬だという自覚はあった。十間あきらなどがこの場にいれば、鬱陶しいと一蹴されていたかもしれない――そんなことを思わず呟けば、比奈は心外そうな顔をした。
「わたし、辰史さんに優しくないですか?」
ほんの少しだけ眉をひそめて訊いてくる彼女に、辰史は大きく頷いた。
「ああ。サディストもいいとこだ。なんせ、俺の目の前で当たり前のように他の男へのプレゼントを選んでンだからな」
「見えないところで知らないうちに準備している方が、辰史さん的には嫌かなぁと思ったんですよ」
「そりゃどうも。取るに足らない暇な大学生の誕生日をお前がスルーしてくれれば、何も言うことはないんだけどな」
分かっている。含みなど何もないことは。けれどどうしても納得ができずに、辰史は比奈を抱く腕にぎゅうぎゅうと強く力を込めた。苦しいですよ。と苦笑交じりの声が聞こえるが、無視しておく。
「心配しなくても、辰史さんの分もちゃんと用意してありますから」
「当然だろ。これでないとか言われたら、俺はあいつを埋めるぞ」
「どこにですか……」
ぐったりと――諦めたのだろう、全身から力を抜いてもたれかかってくる恋人の耳元で、辰史はもう一度唸った。
「ていうか、比奈」
「はい?」
「お前、まだ俺の質問に答えてないぞ」
「質問ですか?」
「……最初の」
――瑠璃也のこと、好きだろ。
探るような瞳で問えば、比奈は今度こそ呆れたようだった。
「答えるまでもないと思ったんですけど」
「何だよ、それ」
答えるまでもなくお気に入り。もしくは、答えるまでもなく好きだとでも言うのだろうか。
(やっぱり埋めよう。すぐに埋めよう)
ぶつぶつと呟く辰史の鼓膜に、溜息交じりの柔らかな否定が聞こえてくる。
「違いますよ」
ふっと視線に気付いて比奈を見つめると、彼女の瞳は赤に染まっていた。拗ねているのか、照れているのか。いくつかの感情がない交ぜになった色。その分かりやすくも複雑な瞳から真意を読み解こうと顔を近付ける――そんな辰史の胸を、比奈はそっと押し返した。
それは理不尽な嫉妬へのささやかな抗議だったのかもしれない。
「すごく、信用がないんですね」
「何が」
「わたしは……」
――いつだって、辰史さんだけのつもりなんですけど。
嘆くように吐き出された、言葉。それは――少なくとも辰史にとっては――遠慮がちすぎるようにも思える、愛の告白だった。たっぷりと十秒ほどその言葉の意味を考えた辰史は、我に返るとにやつきそうになる口元を片手で押さえた。
「それ、どういう意味か説明してくれよ。もっと具体的に。なあ比奈」
「い、嫌ですよ!? 私十分恥ずかしいこと言いましたよね?」
「十分なんて」
――思えるかよ。
いつだって自分は、まだ足りないと思ってしまうのだ。幸福を噛みしめつつも、その先を期待せずにはいられない。
十間あきらに聞かれていたのならば、やはり鬱陶しいと一蹴されていたであろう台詞を口の中で呟いた男は、全力で恥ずかしがる腕の中の恋人へ強請るように口付けを落とした。