ウサミミ男と狐憑きの話





 これはなんの冗談だろう。
 と、岡山太郎は絶句した。起きてきた叔父の頭からは、二本の黒い耳――おそらくは兎だ――が、ひょこりと生えている。本人は寝起きの不機嫌な顔で首のあたりを掻いているというのだから、これほど不似合いなシチュエーションもない。いや、仮に彼が機嫌よく笑っていたとして、それはそれで悪夢のような光景ではあるのだろうが。

「あの、叔父さん」
「ああ? なんだよ」

 顔を上げる。その拍子に、兎の耳がひょこんと揺れた。これが叔父ではなく女性だったらまだ可愛いのだろうな――と太郎は泣きそうな心地で思った。
(なんだこれ。罰ゲームなのかな。それとも新手の嫌がらせ?)
 好意的に、そう解釈してみる。冗談でも叔父がそういった趣味に目覚めたなどとは思いたくなかった。

「あの、叔父さん」
「だから、なんだよ」

 朝っぱらから鬱陶しい――とでも続けてきそうな彼に、とりあえず訊ねてみることにする。短気な叔父の神経を逆撫でしないよう、極めて遠回しに。

「兎ってどう思います?」

 瞬間、その顔がぎくりと強張ったように見えたのは気のせいだろうか。なんにせよ、叔父は平静を装ったと分かるぎこちなさで訊き返してきた。

「なんだ? 兎が飼いたいのか? それとも、お前もついにうちの卯――性悪姉貴のことを叔母と呼ぶ気がなくなったのか?」
「いえ、なんというか、動物の兎でも卯月叔母さんのことでもなく……人間が兎をモチーフにした恰好をすることについて叔父さんはどう思うのかなって……その、僕自身に思うところがあるとかそういうわけではなく、叔父さんの意見を知っておきたいので」
「……正気の沙汰とは思えんな。人はもっと健全であるべきだと思う」

 正気の沙汰とは思えない恰好をした叔父は、至極真面目な顔でそう言った。
 それを聞いて、太郎は安堵の息を吐いた。何がどうなっているのか分からないが、叔父が妙な趣味に目覚めたわけでないことだけは確かなようだった。

「そうですか。あ、ご飯の前に顔を洗ってきたらどうです?」
「……? ああ、そうする」

 首を傾げつつも歩いていく叔父の姿が、廊下の奥に消える。それから、一分と経たないうちに洗面所からは絶叫が聞こえてきた。想像したとおりの騒々しい足音が続いて、鬼の形相をした叔父が廊下の向こう側から戻ってくる。おい、太郎! と太郎が悪いわけでもないのに声を荒げて、

「どういうつもりだ! お前、ふざけてんのか!」

 兎の耳を片手に、全身を戦慄かせている。太郎は素っ気なく答えた。

「いや、僕は何も知りませんよ」
「嘘吐け! お前じゃなけりゃ誰がこんな命知らずな……命、知らずな……」

 次第に声が萎んでいく。どうやら、その命知らずに心当たりがあったらしい。怒りに赤く染まっていた顔が、今度は青ざめていくのを眺めながら太郎はぼそりと呟いた。

「どうせ人から恨まれるようなことでもしたんでしょう?」
「いや、恨まれるような覚えは……なんだかんだ、あいつだって最後は乗り気だったし、多分。というかこういう仕返しはよくないだろ!」
「叔父さんが何をやったのかは知りませんが、報復としては可愛いものなんじゃないですか?」

 やはりわけが分からない。分からないままの方が幸せなのだろうな、と思うことにして太郎は叔父に背を向けた。

「朝ご飯、食べましょう」

 そう、何も見なかったことにしようとしたのだが――

「おい、待て」

 後ろから伸びてきた手が太郎の首根っこを乱暴に掴んだ。

「なんですか、叔父さん」
「ちょっとツラを貸せ」
「って、その左手の式符はなんですか!?」
「心配するな。ほんの少し今朝の記憶を消すだけだ。しばらくぼんやりするかもしれないが、多分後遺症は残らないから気にするな」
「気にしますよ!?」

 そんな攻防が続くこと、二十分。それから叔父は思い出したように携帯を取り出して、命知らずな犯人に猛然と――けれど、怒るに怒れないといった複雑な顔で電話をかけたのだった。


 ***


「成程。そういうことだったんスね」

 常盤の話に相槌を打ちながら、十間あきらは部屋の隅で機嫌を損ねている比奈の横顔を眺め見た。怒った顔も綺麗だ。と、そんな感想はどうでもいいのだが、彼女が目に見えて腹を立てているというのは珍しい。

 発端は、あの報復屋がバニーガールのコスプレ衣装を購入してきて、あろうことか彼女に着るよう強要したらしいことだった。どうしてそんなことになったのか。詳しい事情は不明なものの、「三輪センパイの趣味、意外とマニアックなんだよなァ」と笑っていた烏羽の呟きから――つまりは考えない方がいいのだ――とあきらは判断した。

「いやー、それにしても三輪センパイってばすごい剣幕だったよなァ。声、こっちまで聞こえてくるぐらいだし。ウサミミ、よっぽど驚いたんだろうな」
「まあ、普通は驚くだろう」

 と、これは蘇芳である。

「で、所長は結局バニーやったわけ?」
「ちょっと、京」

 無遠慮な烏羽を、常盤が窘める。比奈はその問いかけには答えなかった。とはいえ、押され負けた彼女が件の衣装を着せられてしまったことは想像に難くなかった。

「でも、似合いそうですよね。比奈さんにウサミミ」

 報復屋と同じレベルまで堕ちるのは抵抗がないこともなかったが、実をいえばその趣味は烏羽が言うほどマニアックなようには思えなかった――少なくとも、あきらには。無意識に比奈のバニーガール姿を思い浮かべてしまって、頬を赤らめる。
 その呟きが聞こえたのだろう。ぎぎぎ、と音が聞こえてくるようなぎこちなさで振り返って、比奈はにっこりと微笑んだ。
 ――たかがバニーガールでと言うつもりはないが、どんな酷い目に遭えばそんな表情になるのか。
 唇だけは綺麗に弧を描いている。一方で、赤く染まった瞳には何かこう、混沌とした感情が渦巻いていた。彼女はやはり珍しく、冷え切った声を吐き出した。

「……十間くんも付ける? ウサミミ」
「いえ、遠慮しておきます。すみませんでした」

 反射的に謝って、あきらは比奈から目を逸らした。隣では常盤が呆れた溜息を零している。烏羽は報復屋の気持ちが分かるのか少しだけ同情的で、蘇芳はそうした話題に関心がないのか黙々と伝票の整理を続けていた。
 なんとなく――空調は控えめであるにもかかわらず――先よりも室温の下がった部屋の中で、比奈の影から這い出た狐だけが大きく口を開けて退屈そうに欠伸していたのだった。




END

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RTss一本目。ウサミミ辰史でした。
一番の被害者は太郎だと思う。ハロウィンといいこの話といい、コスチュームプレイ的なあれが好きな辰史です。(どうしようもない