地獄篇





 真夜中――
 目が覚めたら、人が窓から部屋に侵入しようとしていた……なんて経験はそうできるもんじゃない。
 午前0時を回って、本日は12月25日。クリスマス。日本人ってやつは、酒を飲んで騒ぐことができるなら理由なんてなんだっていいんだろう。クリスマスだろうが、ハロウィンだろうが、正月だろうが、お盆だろうが、バレンタインだろうが――どうでもいいわけだ。キリスト教の行事であることなんかお構いなしに、もう12月の頭頃から街はクリスマス仕様に飾り付けされていて、世の中は浮き足立っている。多分、昨日と今日あたり有名な娯楽施設のいくつかは恋人たちで溢れかえっているんじゃないかな。
 かくいう俺も――日頃は海外で地味に暮らしているとはいえ――生粋の日本人であるから、こういったイベントは嫌いじゃない。
 そういうわけで、まあ、普段から世話になってる従兄夫婦に何かプレゼントでもしようか――淫猥な効果のある香で素敵なクリスマスを演出してあげるのもいいかな。なんて、そんなことを考えて数日も前にここ日本へ帰省したわけなのです。今年は。
 まったく失敬なことに丑雄従兄さんは、

「お前が帰ってくるとろくなことにならないからな。今年くらいは伊緒里と二人、夫婦水入らずで過ごさせてくれよ」

 なぁんてわざわざ釘を刺してくれたけど。
(夫婦水入らずで過ごさせてあげたいから、プレゼントを用意したっていうのにね! まったく、従弟の心従兄さん知らずってやつなんだからもう)
 プレゼントを持って訪ねて行った俺に驚く従兄さんと伊緒里ちゃんの顔を想像して、すごく良い気分で眠りに就いたっていうのに。
(もう、誰かなー。夜這いしてくれる女の子に心当たりなんてないしな−)
 もしやあれかな。サンタ。サンタクロース。弟の辰史が大嫌いな、例の、不法侵入を繰り返しては物を置いていく老人。そっか。俺が普段から良い子にしてるから、プレゼントを持ってきてくれたんだな。靴下だけはいた女の子とか、そそられるね。
(って、そうじゃなくて)
 駄目だ駄目だ。やっぱこう、従兄さんや太郎のようなつっこみがいないところで中途半端に一人漫才なんかしても虚しいだけだ。そういえば、窓からちゃっかり侵入を果たして一息ついてる人影は、サンタクロースにしては華奢すぎるような気もする。
 というか、なんだ。最近のサンタクロース(?)の侵入手口ってのは随分と不穏なもんだ。ご丁寧にも鍵の横が綺麗にくりぬかれた窓を見て、俺は密かに感心した。泥棒も真っ青な手腕じゃないかな。
 白髭すら生やしていないサンタクロース(??)が、こちらの視線に気付いたように振り返ってくる。よく見たら彼女――だろう、多分――が身にまとっているのは、雑貨屋で売られているみたいな極ミニで大きく胸元の開いたコスプレ衣装だった。

「兄さま、メリークリスマス!」
「わー不法侵入だー! 父さーん、俺の部屋に痴女がいるよーむぐっ」

 思わず棒読みで叫ぶと、痴女――もとい妹の卯月は窓のところから一足飛びで枕元に着地して、俺の口を手で塞いだ。泥棒っていうか、もう暗殺者とかになれるんじゃないかと思うくらい鮮やかな手口だ。
(いや感心してる場合じゃないんだけどさ)

「ふふふ、大人しくしてくれない? 兄さま。わたし、手荒な真似は好きじゃないのよ」

 目が恐かったので、仕方なしに頷く。
 母さん似で掛け値なしの美女なのに、下の弟ともよく似て傲慢で性格の悪さが顔に表れている。お世辞にも清楚系とは言えないし、小悪魔系と言うと小悪魔に失礼なくらいに恐ろしい妹なのだ。うちの兄弟姉妹の中では一番自由で、しかも恐いものなしなんじゃないかと思う。あの従兄さんでさえ、卯月には説教の一つも言わないからね。
 そんな妹は不吉な色気を感じさせる唇を微笑ませて、すぐに俺の口から手を離した。

「物分かりがいい兄さまって、素敵よ」
「ありがと。ところでさ、なにしに来たの? うーちゃんは」

 多分ろくな用事じゃないんだろうな。と、思いながらも一応は訊いてみる。

「おにーちゃんのとこに夜這い? 兄妹でそういうのは、俺、ちょっと。いくら守備範囲が広いっていっても、その気にはなれないなァ」
「誰がクリスマスにまで妻帯者の従兄んちに邪魔しに行くような寂しい兄を襲うってのよ。馬鹿じゃないの? わたしにだって選ぶ権利くらいあるわよ」
「しばらく会わないうちに、また口が悪くなったね。辰史だってそんな言い方はしないよ。あいつはすぐに足が出るけど」

 なんだか無性に悲しくなって、呟く。
 やっぱ従兄さんとこ行くのやめようかな……。密かに落ち込む俺の顔を、可愛い妹はぐいと覗き込んできた。

「それより、兄さま!」
「わわっ」

 深い谷間が、目の前にずばんと現れる。妹ながら立派なもんだ。

「うーちゃん、視覚の暴力だよ」
「煩いわねぇ。童貞みたいなこと言わないでよ」
「こらこら、下品なこと言わない。女の子なんだから」

 これは、少しきつめに。窘めると、卯月はつんと唇を尖らせた。

「はあい。って、そんなことはどうでもいいのよ。小さい頃にね、兄さまがサンタクロースの正体を教えてくれたでしょう?」
「う、うん」

 そんなこともあったなと思いながら、頷く。

「それが、どうかしたの?」
「あれからわたし、欲しいものは父さんの手を煩わせずに自分で手に入れようって決めたのよ。なんか、歳をとるたびに父さんからのプレゼントはグレードダウンしてるしね」
「ていうか、手を煩わせる煩わせない以前にうーちゃんの場合は年齢的にアウトだと思うよ」
「なにか言った? ごめん、よく聞こえなかったわ」
「いや、なにも」

 左手に巻き付けた数珠を握りしめておいて、聞こえないだなんてよく言うよ。卯月がその気になれば、じいさんの思念に俺の枕元で一晩中延々と説教をさせるくらいのことはできてしまうんだから。才能格差ってやつはまったく厄介なもんだね。

「で、自立したえらいえらい子なうーちゃんは俺になんの用なの?」
「兄さま、馬鹿にしてるの? おじいさまを喚ぶわよ」
「ごめん。それだけはやめてください」

 誠心誠意謝りながら、ちらっと妹が背中に担いでいる袋を盗み見る。なんか、袋から宝飾品や高そうな骨董品が透けて見えるのは気のせいだろうか。そういえば、この子も辰ちゃんと同じで金目のものが大好きだったなぁと思いながら――ああ、つまり逆サンタか。回収してまわってるわけか、欲しいものを。と口の中で呟けば、それを見透かしたように卯月は大きく頷いた。

「言っておくけど盗んでないわよ。この恰好でちょーっとおねだりして歩いてるだけなんだから。分家の伯父様のところとか、大伯父様のところとか。あと前わたしのこといやらしー目で見てた、美術商のとことか。この子たちもきっと、わたしにもらわれて幸せだって思ってるわ」

 悪びれもせずに、そんなことを言う。兄として、脅迫は犯罪だよって教えてあげた方がいいんだろうか。
(多分、言っても無駄なんだろうなぁ) 

「でね、最後に辰史のとこに行こうと思っているんだけど」
「辰ちゃんとこに!?」

 またあっさりとそう言った妹に、俺は今度こそ絶句した。
 いやいやいや、絶句してる場合じゃないって。すぐに我に返って、卯月の肩を両手で掴む。

「そんなことしたら戦争になっちゃうよ! 聖夜になに考えてるの!」
「だって辰史ってば孔胡のコレクション独り占めして、わたしには見せてもくれないんだもの」
「しかもよりにもよって辰ちゃんの一番大切なコレクション狙ってるとか!」

 止めなければ。絶対に止めなければ。
 なにがあれかって、可愛い甥っ子が犠牲になってしまう。顔面を蒼白にする俺を見て、なにが面白いのか卯月はにんまりと悪魔のように笑った。

「そうよ、戦争よ。だから兄さまに味方してって言いにきたのよ。わたし」
「いやだよ! そんなことしたら、辰ちゃんのことだから真っ先に俺を殺しにかかってくるって」
「大丈夫。わたしがついてるわ。兄さま」

 語尾にハートがつきそうなくらい甘ったるい声で囁いて、

「うっ」

 プシューっと一吹き。あ、これ嗅ぎ覚えがある。

「兄さま、辰史のところに着くまでゆーっくりやすんでいてね」

 遠のく意識の中、卯月はそう言って笑った。





END

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続くやも続かないやもな三輪家兄弟戦争編。
どうしてクリスマスにこれをやろうと思ったのかはわたしにも分からない。