地獄篇





「あんのバカ兄貴とクズ姉貴が……」

 携帯を握りしめて、俺は独りごちた。
 何が悲しくて、聖夜にアホな身内と戦争せにゃならんのかと。恋人を作ってはふられる兄貴は、どうせ今年もクリスマス前に破局して暇を持て余していたんだろうが――
(卯月のやつがフリーってのは予想もしなかったな)
 兄に輪をかけて奔放で男遊びの激しいあの魔女が、こういったイベントの日に仕掛けてくるというのも珍しい。

「くっそ、冗談じゃねえぞ」

 三回くらい転生しても更生しようのないくらい、性格と根性の歪んだ女の顔を思い浮かべる。
 兄弟の中では互いに母親似な上に祖父の教育を受けているということもあって、すべてに於いてよく似ていると言われるが、正直言って心外だ。俺はあいつほどの守銭奴じゃァないし、性格だって悪くはない。大さじ一杯分くらいの良心と優しさだって持ち合わせている……大抵それは恋人にばかり傾けるせいで、他の誰かに与える前にはもう空っぽになってしまっているわけだが。
(そんなことはどうだっていい……!)
 直視すべきは、メールの内容だった。

 ――今夜、馬保木孔胡のコレクションを兄さまと一緒にもらいに行くわね。あなたの麗しくて可憐なお姉さま、卯月より。

「馬鹿か!」

 思わず、毒づく。

「どこが麗しくて可憐なんだ。どこが。顔の造りがいいのは認めるが、性格がどん底じゃねえか。比奈の爪の垢を煎じて飲ませてやりてえ……」

 いや、あの姉と呼ぶのも躊躇われてしまうような人外の性格が破綻していることも、今に始まったことではないのだ。問題は、あれらが今夜――よりにもよって、今夜。店に襲撃を仕掛けようとしていることで!
 最高交際期間一ヶ月とか二ヶ月とか言っている移り気なあいつらと違って、俺には四年――いや、俺の一方的な準備期間を含めれば二十年余りの付き合いになる恋人がいる。クリスマスの予定が埋まっていないはずがない。
(つまり、デートに出かければ店がノーガードになる……)
 ぎりぎりと歯軋りをしながら、俺は呻いた。
(あいつらのことだから、どうせ俺が暇してるとでも思ってンだろうな)
 まったく迷惑極まりないし、気が利かないにもほどがある。もっとも――兄はともかく――あの女が気を利かせたことなど、どれほど記憶を遡ったところで思い出しようもなかったが。

「ううううう……コレクションと比奈と、どっちを選ぶかと訊かれりゃァ、考えるまでもなく比奈なんだが……しかし、長年集めてきた孔胡の絵をあの女に奪われることだけは……それだけは避けたい。なんとしてでも避けたい……」

 比奈に相談すれば恐らくは二つ返事で、

「わたしは大丈夫ですから。辰史さんの大事なコレクションを守ってください。クリスマスじゃなくったって、そのあとで一緒に過ごせばいいですし。その分、いつもより長く辰史さんの時間をもらえたら嬉しいですけど……」

 なんて、はにかみながら健気なことを言ってくれるんだろう。きっと。多分。
(そうだ。健気なんだ。いじらしいんだ、比奈は!)
 あの暇人どもと違って。そういつものように意味もなく脳内で恋人を持ち上げては惚れ直してみたりしながら、俺は頭を抱えた。

「ああああ、くっそ。兄貴が帰ってくるって聞いて嫌な予感はしてたんだ。先に実家ごと燃やしときゃ良かったぜ。そうすればこんなことには……」

 と、後悔したところで、いかんせん遅すぎた。
(何か手はないか……コレクションを比奈の部屋に避難させる……駄目だ。あの女のことだから、匂いを嗅ぎつけてくるに決まってる。比奈まで巻き込むのは避けたいし、何よりあいつらにだけは、まだ比奈とのことを知られたくない。稲荷運送は……こっちも駄目か。やつら、きっとあっさり俺のことを売りやがる)
 同じ理由で神山冬子と芦原雪乃に預けるという案も、却下だ。鬼堂六は――最もあてにならない。こういうとき、信頼に足る友人がいないというのは痛い。
 と――
 そんなとき目に入ったのは、洗濯物を抱えている太郎だった。一番上の姉から預かっている、出来た甥。可愛げはないが、責任感は強いし、そこそこ頼りにもなる。他の身内からも、それなりに大切にはされている――と、そこまで考えて、俺は思いついてしまった。

「おい、太郎」
「なんですか? 叔父さん」

 呼ばれただけで嫌な顔をしてみせるあたり、この甥っ子も妙に勘が鋭い。或いは単純に、俺のことが嫌いなだけかもしれんが。まあ、そんなことはどうでもいいのだ。

「今夜、用事はあるのか?」
「あるといえばありますし、ないといえばないですけど」
「どっちだ」
「毎年恒例、男友達とパーティーですよ。あきらは去年のことで懲りたみたいで、稲荷運送の方に参加するって言っていましたけど。代わりに洋を呼んで――」

 ハロウィンもクリスマスも、大晦日も正月も、下手すりゃバレンタインデーやホワイトデーまで男友達と過ごすってのは理解ができない。瑠璃也はともかくとして、こいつはもてないわけでもないだろうに。
 禁欲的すぎる甥に一抹の不安を覚えながら――まあ年上は好きなようだから、まったくその手のことに興味がないってわけでもないんだろうが――俺は出しうる限りの猫撫で声を絞った。

「だったら、ちょいと頼まれてくれないか?」

 我ながら完璧だ。比奈なら少し困った顔でほだされてくれるだろうし、他のやつらだったら顔を青ざめさせながら言うことを聞いてくれるだろう。
 けれど、この甥ときたら、
 
「嫌ですよ」

 即答だ。即答。内容を聞くまでもなく断ってくるところが、俺とこいつの間に信頼関係がまったく築かれていないことを示している。
(小さいときは散々恐い話を聞かせて遊んでやったってのに……)
 引き攣りそうになる頬をむりやり笑みの形に歪めて、俺は携帯を開いた。
 ――薄情な甥がそうくるなら、こっちにも奥の手がある。そんなことを口の中で呟きながら、一つの番号を呼び出す。予想通り、通話は3コール以内に繋がった。

「あ、瑠璃也か? 今年もウチに来るんだろ。ああ。俺はいつも通り出かけるから。ちょっとバイトしてくれよ。時給一万で。各種手当てもつけるから。え? 危なくねえよ。太郎たちと留守番しながら、俺のコレクションを守っててくれりゃァいいんだ。そ。最近は物騒だから、クリスマスを狙った泥棒が入らないとも限らん。いいか、俺の兄弟が訪ねてくるかもしれんが、絶対に中に入れるなよ。あいつら、犯罪者みたいなもんだからな。俺が帰るまで何事もなければボーナスもつけてやる。いくらだって? お前のバイト代一月分よりは多いだろうぜ。あ? コレクションに何かあったら? そんときゃ奴らごとお前も吊す。じゃあな」

 通話を切って、ふっと息を吐く。

「ま、そういうことだ。頼んだぜ」
「ちょっとどういうことですか! 叔父さん!」
「大切なクリスマスとコレクションを守るためなら金は惜しまないってことさ。お前らがどれだけあてになるかは分からんが、ま、あの馬鹿どもでもシロート相手に無茶やるほど狂っちゃいないだろ。一応、式も置いていくが、もし心配なようなら丑雄のやつにでも泣きついとけ。ヘタレ兄貴は、滅法あれに弱いからな。性悪姉貴はどうか知らんが」

 あの従兄に店の敷居を跨がせるのは気にくわないが、まあ、どうせだから巻き込んでやれと名前を出しておく。こんな日にまで本家兄弟のくっだらねえ騒動に巻き込まれたと知ったら、あいつも嫁に詰られるんだろうが――丹塗矢の嫁は名家出身で手厳しいって話だ――知ったこっちゃない。日頃の恨みを思い知れってんだ。
 ふふふ、と悪く笑って俺はハンガーからコートを掴んだ。

「え、ちょっと! 秋寅叔父さんと卯月叔母さんが来るんですか? なんの用で?」
「大したことじゃねえって。ちょーっと戦争ごっこしに来るだけさ。瑠璃也と洋君とやらと三人で遊んでやってくれよ。子守り代はくれてやるから」
「大したことじゃないですか! 子守りとか、そんなレベルの話じゃないですよ! それなのになんで叔父さん一人で逃げようとしてるんですか!?」

 流石にうちの兄弟どものことを分かっているだけあって、こいつは瑠璃也のようにはいかない。俺は一度だけ、甥に向き直った。至極真面目な顔を作って、告げる。

「男にはな、なにを犠牲にしてでも守らなければならないものがある。そういうことなんだ。分かってくれ、太郎。俺だって辛いんだ」
「それで甥とその友人を犠牲にしたところで、痛みを感じるような叔父さんじゃないでしょう。思いっきり捨て駒なんだって分かってますよ、僕には」
「ろくな風に思われてないってことは知ってたが、そこまで冷血人間扱いされると少し傷付くな……」

 いや、本当はまったく痛くも痒くもないんだが。
 少しばかり傷付いたような顔などしてみせながら、俺は両手の塞がった太郎の肩をぽんと叩いた。

「そういうわけで、よろしくな。太郎ちゃん。ちゃんとお留守番できたら、来年はお年玉もはずんでやるよ」
「僕は新年を無事に迎えられるかも不安なんですが……」
「大丈夫だって。あのド鬼畜悪女はともかく――秋寅はお前に手荒な真似をしたことなんかねえだろう?」

(あの兄貴、兄弟喧嘩となりゃァ自分が不利だからって卑怯な手ばかり使ってきやがるくせに……)
 なんかわけもなく腹が立って、今度呪いの人形でも送りつけてやろうと心に決めながら――土間に飛び降りて、ダッシュで店の外へ走る。

「あっ、叔父さんが逃げた!」
「逃げるわけじゃねえし。むしろ俺は至福の時を掴まえに行くんだ……!」
「なにわけの分からないことを言ってるんですか! 叔父さん、ちょっと叔父さん!」

 太郎の絶叫をBGMに、足取りも軽く比奈のマンションへ向かう。……クリスマスソングに比べれば随分と不吉だが、まあ犠牲を強いてしまったからには仕方ない。帰りに値引きされたホールケーキでも買って労ってやればいいだろう――なんて呑気に考えていた俺は、まだまだ兄貴どもの馬鹿さ加減を侮っていたわけだ。




END

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あの次女あって、この次男ありというほどろくでもない辰史になってしまった……。まあ彼が自分と比奈のことしか考えていないのは毎年のことですね。