自棄になったか、恐怖が限界に達したかしたらしい――彼らのうちひとりが奇妙な叫び声を上げ、めちゃくちゃに腕を振り回しながら突進してきた。少女ひとりと侮って、刃物の一振りも携帯していない。ただの徒手を左手で鋭く叩き落とし、右手で相手の襟元を掴んで投げた。
 受け身も取れずに背中から鉄床に叩きつけられた男は、悲鳴も上げず沈黙する。ひとり残された取り巻きは、腰を抜かしてその場にへたりこんだ。これはあとで時雨が痛め付けるだろう。残るは――

「は……」

 ホスト風の男だけだ。
 唖然と目を見開いて、肩で息をしている。

「おいおいおい、こんなのおかしいだろ」
「なにがおかしいんだよ。自分が一番賢いと思ってガキを狩ってた間抜けが、狩られる側に回っただけだ」
「こんなことしてタダで済むと思ってんのか。警察に」
「あのな……」

 男を遮って、山吹は告げた。
 ジャケットから警察手帳を取り出しながら。

「警視庁捜査二課――オレが正義だ。何度も言わせんな」
「捜査二課……!」

 男の顔がサッと青ざめる。

「いや、違うんだ。これは、俺だけが悪いわけじゃない」

 そんな幼稚な言いわけで許されると、まさか本気で思っているわけではないだろうが――彼は続けた。

「そう、そうだ。SNSで勧誘してたのは白崎だった」
「その白崎を殺したくせに……!」

 叫んだのは八雲だ。爬虫類のような瞳をぎらつかせて、男を睨みつけている。だがそんな少女の方は見もせずに、彼は大袈裟にかぶりを振った。

「話を聞いてくれ。情報ならある。損はさせない!」
「頼まれなくても、取調べなら相棒が得意だぜ」

 それで時雨の存在に気付いたのだろう。戦意を喪失した暴漢たちを確保するためにようやく外へ出てきた相棒を見ると、男は酷薄な笑みを唇の端に浮かべた。

「はっ!」

 息を吐き、足元に落ちていた仲間の靴を投擲してくる。山吹がそれを手ではらい落した一瞬の隙をついて横を駆け抜けると、まだ入口のところで佇んでいた時雨に襲い掛かった。
 そこからなら突破できると踏んだのだろうが。

「あーあ……」

 振り返りもせず、山吹は肩を竦める。
 背後から聞こえてきた相棒の声は、いつもと変わらない。
 抑揚を欠き、どこか気取って、どこまでも――

「おや、私ですか」

 どこまでも、冷淡なのだ。

「うぇ?」

 男が疑問の声を上げた。道路に飛び出した獣のように、一瞬だけ動きを止め、きょとんと時雨を見つめていたが。

「なにをもって私を侮ったのか知りませんが……」

 時雨は静かに腕を振った。
 手元の特殊警棒が風を切り、男の喉を一突きする。その動作に激しさはない。しかし鋭い一撃ではあった。男は潰れた蛙のような呻き声を上げ、後ろへ倒れていく。

「千晴くんが言ったでしょう。我々は警視庁捜査二課。詐欺師ごときに後れを取るはずがないじゃあありませんか」

 暴力に酔うでもなく、手柄を喜ぶでもなく、ただ平然と事実だけを告げ、静かに息を吐く。
 それから彼は山吹を見ると、声に少しだけ感情を混ぜて言った。

「通さないでくださいよ。君の見せ場でしょう?」
「美味しいとこくれてやったんだから、いいだろ」

 軽く視線を交わして、それで終わりだ。
 酷い有様で地面に転がる犯罪者たちを、しっとり濡れた夕闇が包み込む。彼らを連行するため、時雨は応援を要請しているようだ。無線で話しているのが聞こえてくる――その姿を眺めながら、山吹は隣に声を掛けた。

「おい、八雲。寒くねーか」

 さすがに疲れたのか、八雲はしゃがみこんでいる。揉み合いの際に強く引っ張られたせいか、パーカーの首元はすっかり伸びきってしまっていた。

「少し。でも」

 大丈夫だよ、と言おうとしたのだろう。山吹はそれを遮って、彼女の頭にジャケットをかぶせた。

「わ……山吹さん?」
「着とけ。今、風邪引かれたら困るんだよ」

 首謀者と取り巻きを確保したことで、ひとまず八雲の安全は確保できたといえる。だが、それですべて終わったというわけでもない。白崎が勧誘していた高校生、あるいは大学生といった組織末端の実働部隊をすべて洗い出し、処分を降す必要がある。
 そのため当面の間、八雲は保護対象扱いになるだろう。少なくとも今夜一晩は、また警視庁の応接室に逆戻りだ。

「叔父さんのとこに帰れなくて残念だったな」

 そんなふうに揶揄すると、八雲はジャケットの隙間から顔を出して山吹を見つめた。

「うん。でも、いいこともあるよ」
「なんだよ」
「正義の味方が一緒にいてくれる」

 それが皮肉なのか賞賛なのか、判断が付きかねた。

「……馬鹿にしてんのか?」

 迷った末に訊ねる。八雲はきょとんと目を丸くしている。

「えっ、なんで」

 どうやら賞賛の方だったらしい。

「どういう風の吹き回しだ? ファザコン女子高生が」
「どういうもなにも……」

 若干傷付いた声に躊躇を挟んで、八雲が答える。

「危ないとこ助けてもらってさ、助けてくれた相手を恰好良かったって思うくらいの可愛げは……わたしにだって、あったっていいんじゃないかな」

 拗ねてしまったのだろう。そっぽを向いた彼女のつむじあたりを見つめながら考えて、気づく――

「そうか。オマエ、見る目あるな」
「……八雲」
「あ?」
「……オマエじゃなくて、八雲がいい」

 彼女は存外に、我儘なのかもしれない。

「ね、だからわたしも千晴くんて呼んでいい?」
「だからの意味が分かんねーよ」
「千晴くん」

 呼ばれてみれば、思いのほかしっくりきてしまった――というのは、まあシチュエーションのせいなのだろうが。
 機嫌を損ねていたはずの少女はこちらを見て、唇を少し微笑ませている。琥珀色の瞳が夜に飲まれた夕暮れの色を映して、淡い光を当てた宝石のように輝いていた。
 そこに生まれた感情は――

「ありがとう。わたし、まだお礼を言うことしかできないけど……もう三年もしたら追いついて絶対に返すから。待ってて」
「いや、追いつけはしねーだろ」

 素気無く否定しつつ。瞳の中に彼女が言う三年後の片鱗を見つけてしまって、なんとなく恐ろしくもある。

「千晴君、君も手伝ってくださいよ」

 応援が到着したらしい。遠くから呼んでくる時雨に短く応じると、山吹は八雲の方を見もせずに片手を差し出した。

「行くぞ、八雲」
「うん」

 八雲が遠慮がちに指先を重ねてくる。彼女の見た目を裏切らず、体温を感じさせない手だ。その冷たさが、けれど今は奇妙に心地よかった。




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