そこに戻るために

 警視庁の応接室には、昨日と同じ朝日が差し込んでいた。

「ん……」

 白い陽射しと、人の気配で目を覚ます。体が少し重い。事件の余韻を引きずっているように。けれど、不思議と頭はすっきりしていた。
 体の上にかけていたブランケットはいつの間にか落ちてしまったらしい。軽く寒気を覚えて、上に羽織っていたジャケット――山吹から借りっぱなしになっていたものだ――を、ぎゅっと握りしめる。と、

「あ」

 本人と、目が合った。
 床に落ちたブランケットを拾い、掛け直そうとしてくれていたらしい。ちはるくん。起き抜けの声でそう呼ぶと、ヒーローを自称する男は複雑そうな顔で「よお」と応えた。

「よく眠れたか?」
「うん。おかげさまで」
「体調は」
「悪くない。疲れてるけど、気分はいいよ」
「そうかよ」

 ぽつぽつと会話を交わす合間に、さりげなく手櫛で髪を整える。彼の方はまた徹夜だったのかもしれない。ほとんど昨日のままの恰好で、目の下はさすがにうっすらとくまができていた。

「あの、今日は寝れそう? お仕事終わったら」
「あ? ああ、いや夕べも仮眠は取ってるからどってことねぇよ。ガキが細かいことに気を遣うな」

 呆れたように笑う。その顔が酷く眩しくて、八雲は目を細める――とはいえ浮かれることもなかったが。

(こんなふうに優しくしてくれるのは、きっとわたしが子供で、被害者だからだ……)

 分かっている。彼らのような大人は――叔父もそうだが――人にとって困難な決断を当然のように乗り越えていく。
 信念を貫くことも、子供に優しくすることも。
 たった三年で彼らに追いつけるだろうか。考えながら、八雲はまたジャケットの裾あたりを握り、あっと気づいた。

「ごめん、これ着たまま寝ちゃった」
「いいけど、洗って返せよ」
「うん。ちゃんとクリーニングに出すから、あの、でも」

 それを言っていいのだろうかと、少し躊躇する。

「どうした?」

 怪訝に眉をひそめる山吹の顔からそっと視線を外して、八雲は歯切れ悪く言った。

「えっと、返すとき……」
「あー、どうすっかな。わざわざ警視庁ここに来させるのも」
「わ、わたし、千晴くんの連絡先知りたい」

 かぶせ気味に言ってから、しまったと思った。案の定、山吹は眉をひそめている。服を返すことと連絡先の交換になんの関係があるのかと訝っているようだった。
 さらに慌てて、八雲は言葉を探した。

「えっと、服返すのに、警視庁近くのカフェとか……待ち合わせ……お礼もしたいし、コーヒーくらいなら、わたしバイトしてて……あ、でも高校生に奢られるのは嫌かな。あと、進路。そう、進路!」
「進路?」
「千晴くんと時雨さんのこと見て、わたしも人を助ける仕事したいって思って。ずっとやりたいこととかなくて、進路決まらなかったから……それで、刑事とかは無理だけど手伝えるような仕事ないかなって、相談乗ってもらいたくて……それもだいぶ厚かましいんだけど……」

(いや、本当に厚かましいな。結局人の夢に便乗してるし)

 言っているうちに我に返って、語尾が小さくなる。
 山吹はぽかんと口を開けてこちらを見ていたが、ややあって上機嫌に笑った。

「そうかよ。ほら、スマホ貸せ」

 驚いている八雲の手から携帯電話を取り上げ、あっさり連絡先を登録して、また八雲の手の中に返してくる。直後にポン、と通知音が鳴った。
 ――山吹千晴:悪用すんなよ。
 特にこれといって特別なところもない一言だが。
 どうしてか、それだけで胸がいっぱいになった。

「しない。絶対しない。誰にも教えない!」

 返してもらった携帯電話を、両手で握りしめる。山吹はやはり不思議そうにこちらを見下ろしている。

「オマエ、なんかキャラ違くねぇか?」
「別に。こんな感じだし、いつも」
「ふうん……?」

 信じていない顔だったが、彼にとっては気にすることでもなかったのだろう。適当な相槌を打って、話題を戻した。

「あれから時雨が取調べを進めた。まあ、その話は教えてやれねぇんだが。やつら、オマエが本当はなにも知らなかったことを聞かされて愕然としてたぜ。白崎にしてみれば、組織に対する復讐でもあったわけだ――今思えばな」
「そっか」

 八雲は短く頷いた。

「怒らねえのか? 利用されたこと」

 山吹が訊ねてくる。わずかに怒りを孕んだ、静かな声で。




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