「転落死、学校でも大騒ぎになってた。最近アイツ、誰彼かまわずバイトの勧誘して回ってたから。怪しいって」

 嘘だ。白崎は自殺を疑われていた。
 白崎が八雲に声をかけてきたのは、人目を避けた放課後だった。彼女としては父親の件もあって、これ以上悪目立ちしたくなかったのだろう。いじめがなくとも級友たちのほとんどが彼女を遠巻きにしていたし、それでいて好奇の視線を向けていることは、八雲もなんとなく感じていた。
 大騒ぎになった。事実はそれだけだ。
 人が変な死に方をすれば、誰だって騒ぐ。そんなことは外部の人間にも容易く想像はつく。人は想像できることに弱い。そこから勝手にストーリーを補完し、思い込む。嘘が真実に化ける。
 案の定、男は今度こそ露骨に顔をしかめた。

「どこまでも面倒かけやがって……」

 それが彼の本性だ。
 嘆息し、前髪の隙間から冷ややかな視線を向けてくる。

「で?」

 こちらに問いかけながら、彼は一歩踏み出してきた。

「ダビちゃんはなにが目的なんだ?」
「なにって」
「金か、それともお友達の復讐か」

 コツ……コツ……
 鉄製の床をゆっくりと踏みしめ距離を詰めてくるのは、こちらを追い詰めるための演出だろう。
 どうすれば子供が怖がるのか、よく分かっている。
 すぐにでも背中を向けて駆けだしてしまいたい衝動を堪えながら、それでも八雲の足は半歩後ろへ下がっていた。そんな自分の弱さに気付いて、愕然とする――

「なあ、ダビちゃん」
「馴れ馴れしく――」

 一瞬だけ意識を反らしたのがよくなかった。
 ハッと顔を上げたときには、男の姿はもう目前に迫っていた。彼はぬっと手を伸ばして、八雲の肩を掴んだ。見た目よりはずっと力のある、大人の男の手だ。五指が肉に食い込む。その乱暴さに反して声は穏やかだった。

「大人と対等に取引できるなんて思った? 勘違いしてる悪い子供を躾けるのは、大人の特権だ。来い――」
「やめ……」

 抵抗はなんの意味もなさない。全身に力を込めたところで、ずるずると引きずられる。掴まれた肩は、痣にくらいはなるかもしれない。それでも八雲は考える。半ばパニックになりながら。

(足りない。こいつ、白崎を殺したって言ってない)

 この場面も――果たして決定的なものなのか、八雲には分からない。取り乱した子供を強引になだめようとした、と言われればそう見えてしまう気もした。

「わ、わたしのことも殺すの、白崎みたいに」
「態度によっては、白崎より酷い目に遭わせるかもな。君、口の利き方はなってないけどツラはいいし」

 彼の薄ら笑いが意味するところに気づいて、ぞっとする。そして、それは顔に出てしまったのだろう。男の表情が喜色に歪んだ。弱いものをいたぶる顔だった。

「おい――お前らも来い。悪ガキの躾けだ」

 倉庫の奥に声を掛ける。呼び声に応え、打ち捨てられたコンテナの陰からぬらぬらと何人かが姿を現した。

(まだいた……)

 喜んでいいのか恐れればいいのか、八雲は内心複雑な気分だった。これでもう、自分も彼らも逃げられない。会話に決定的なものがなかったとしても、こんな場所で男たちが女子高生を囲んだら言い逃れはできない。
 あとは反抗的に見えるよう、相手を精一杯睨みつける。

「まだそんな顔ができるのか」

 忌々しそうに顔を歪め、男は八雲の前髪を掴んだ。床に引きずり倒されたときに口の中を切ったのか、咥内に鉄錆の味が広がった。形だけでもとばたつかせた手足は、あとからやってきた何人かに押さえつけられた。

「やべっ、顔に傷はつけるなよ。商品価値が下がる」

 ――それしか価値がないみたいな言い方、失礼じゃん。
 悪態の代わりに、血の味の唾液を吐き出して――下から見上げた光景にようやく脳が追いついた。数人の男たちに囲まれ、上から見下ろされている。背筋が寒くなる。

「や」

 思わず拒絶の声が出た。
 最後まで生意気な子供でいるはずだった。感情の読みにくい顔で大人の様子を窺うことは得意だった。得意だと思っていた。なんなら顔の一発でも殴らせて、目の前の馬鹿な詐欺師たちをドン底まで突き落として、それで終わるとさえ思っていた。甘かった。

(……アンタも、こんなふうに怖がってたんだね。白崎)

 最後まで分かり合えなかった級友のことを、ひとつだけ理解できたような気がした。目尻に涙が浮かんだ。
 もっと彼女の話を聞いていたら――とまでは思わない。自分たちは水と油だった。それはきっと何度やり直しても変わらないし、そんなことで手を取り合うような関係にはなれないだろう。けれど、それでも。

(こんな想いをしながら死んでいい相手でも、なかった)

 押さえつけられて酷く苦しい。酸欠で頭がくらくらしてくるのを感じながら、八雲はどうにか息継ぎをし――

「たすけて」

 吐き出した。
 懇願は、遅すぎはしなかっただろうか。
 刑事たちは本当に間に合わせてくれるだろうか。
 そんな恐怖と疑問が胸を過らないではなかった。だから八雲は祈るように呟いた。緊張で体が強張っているときは叫び声すら出ないのだと、そのとき初めて知った。

「たすけて、やまぶきさん……」

 祈りは掠れて声にならなかったかもしれない。上に跨る男のひとりが胸元の集音マイクに気づいて手を伸ばしてきたため、時雨の名前は呼べなかった。
 が、その直後――
 ガシャアアアンと派手な音を立てて、入口のシャッターが吹き飛んだ。男たちが驚いて、背後を振り返る。

「ヒーロー見参ってな!」

 その声と逆光で黒く塗られたシルエットを見つめながら、

(ヒーローって、本当にいるんだ)

 ぼんやりとした頭で、八雲はそんなことを思った。




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