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「猛晴くん……?」

 八雲の横顔を眺めながら、山吹は困惑していた。
 彼女は叔父との通話を終えて満足したようだ。潤んだ目をしぱしぱ瞬かせ、歳相応の幼さをまた大人びた仮面の奥へ押し込めようとしている。
 彼女たちの会話は捜査状況の秘匿を抜きにしても随分とあっさりしていた。他人としては、それでいいのかと少し疑問に思ってしまうくらいだ。当然、警察の立場から注意すべきこともなかった。が、

「猛晴くんって、例の叔父さんか?」

 電話の向こうから聞こえてきた声は、想像よりもずっと若かった。なんとなくいけすかない感じもした。芋臭い中年男とばかり思っていただけに騙された気分だ。
 問いかけに、八雲があっさり頷く。

「そう。わたしの母親だった人の弟」
「歳は?」
「三十四」

 素直に答えながら、彼女は不思議そうに首を傾げた。質問の意図が分からないのだろう。

(オレと六つしか違わねぇのかよ)

 舌先に生まれた非難をどうにか飲み込んだのは、彼女が白崎と口論になった事の発端を思い出したからだった。

(まあ、そりゃ邪推するよな)

 と、それを言うほど山吹も馬鹿ではないが。

「いや、店やってんだって言ってただろ。若くねーか」

 さりげなく話の方向を変える。
 幸い、八雲は気づかなかったらしい。目を細めて頷いた。

「学生時代からの夢で、努力してたんだよ」

 他人からの尊敬や憧憬を切望している山吹だからこそ、分かってしまう。八雲のそれは混じりけのない尊敬だ。

「オレも学生時代に決めたんだぜ」

 思わず体を乗り出して言うと、八雲は驚いたように半歩後ろへ後退った。それでも眩しいものでも見るような目はそのままに、山吹を見つめてくる。

「刑事さんもなんだ。すごいね」
「そりゃあな」

 素直な賛辞に気を良くしながら、山吹はふと気づいた。

「そういや、その刑事さんって呼び方、やめろよ」
「え?」
「相棒とオレと紛らわしいだろ」

 散々他人のまま会話を交わしてきて、今更ではある。
 八雲は困惑しているらしい。「でも……」と、なにやら口ごもっていたが。山吹の後ろから、時雨が言葉を添えた。

「まだ正式に決まってはいませんが、君の保護に関してもおそらく我々が担当することになるかと。そういうわけで改めて自己紹介を――私は時雨賢人。そして彼が」
「山吹千晴。覚えとけ」
「時雨さんと、山吹さん……」

 噛み締めるように名前を繰り返して、八雲は静かに頭を下げた。動作に合わせて、青みがかった黒髪が揺れる――

「よろしくお願いします」

 犯罪者たちからの懇願は聞き慣れている。だが、善良な子供のそれとなれば別だ。山吹は相棒と二人、困惑気味に顔を見合わせた。

「よろしくされなくても、我々は職務を全うしますよ」

 時雨の皮肉も、なんとなく精彩を欠いている。

(なんか、変な感じだよな)

 山吹は軽く頬を掻いた。大衆から認められ持て囃される未来は、頭の中で何度だって思い描いてきたはずだった。むしろ想像に比べれば、目の前の現実は地味すぎる――
 目も眩むほどのフラッシュもなければ、マイクの花束もない。事件に巻き込まれた無力な高校生がひとり、大切なものを守りたくて必死になっている。それだけのことだ。
 どこまでも酷な現実を突きつけるのなら、肩書もなにも持たない少女が頭を下げたところで価値はない。けれど、

「素直じゃねえなー。オレの相棒は」

 どうしてか。

「ガキが気負うなって、そういう話だ。気にすんな」

 そんなフォローが口をついて出た。
 時雨も驚いたようだ。眼鏡の奥の目を丸くしてなにかを言いかけ――気が変わったらしい。肩を竦めるに留めた。その反応は気にならないではなかったが。

「う、うん」

 つい、八雲に気を取られてしまう。

「よぉし、素直なガキには応接室を貸してやる。他の空き部屋よりは寝心地がいいから、飯食ったら早く休めよ」

 山吹はそう言って、彼女の肩を一度だけ叩いた。
 小難しいことを考えるのはやめて、衝動に従う。結局のところ可哀想な子供に優しくするのは、自分にとって悪を殴ることと変わらない。聴取中にも感じた抗いがたい誘惑――それは他人とろくに交わることなく生きてきた無垢な魂を、別の色で染めて台無しにしてしまいたいという破壊衝動に他ならない。
 きっと。たぶん。おそらく。

「ありがとう……ありがとうございます、山吹さん」

 無感動がちな爬虫類の瞳が綻ぶ兆しに、仄暗い喜びとは別のなにかを感じたのは気のせいだろう。




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