◇◇◇

 夕暮れに、太鼓と笛の音が響いている。
 そこにギターの音色を重ねたら、どうなるだろうか――響鬼は少し目を瞑って考えた。それを知る者からすれば、殊更おかしな組み合わせでもない。商業的に成功しているアーティストもいるが。
 なにせサッカーを教えられる大人すらいない村だ。
 目を開ける。目の前の広場には大きな櫓がある。周囲をぐるりと囲むように篝火用の鉄籠が設置されていた。
 祭櫓というよりは宗教的な儀式の場、あるいは処刑場を思わせる。その景色は、きっと村人たちが天女の伝説を語るようになった頃から変わらず存在しているものなのだろう。
 新しいものを拒絶して昔話の悲劇を模倣し続けることが村を未来へ導くのだと、本気で信じている。
 響鬼は陰鬱な気分になった。
 目の前の光景には、ノスタルジーよりも閉塞感を感じる。傍から見ても、この先は行き止まりだ。
(……アイツが見てた景色も、同じだったのかな)
 フィールドとはほど遠い景色だが、そこから一歩離れてしまえばよく似ているように思えた。今なら分かる。
 そこにいた指導者えごじんぱちが言っていたことも。
 不意に、視界の端が明るくなった。
 ボッ、ボッ、ボッ、ボッ……
 鉄籠に火が灯されていく。太鼓は鳴りやんでいた。笛の音だけが静かに旋律を奏で、暮れゆく空に溶けていく。
 そうして薄闇が昼の名残を消した頃――一際大きな火が、櫓の上を照らした。
 そこに、人影があった。
 地上を臨む天女というよりは、やはり独裁者の面持ちでそれでも彼女は旋律が変わると緩やかに動き出した。
(空気が……)
 場の空気が一瞬で変わるのを感じた。
 本来は優しくたおやかな女の舞なのだろう。そうと感じさせる名残が、仕草の随所に見られる。美しい指先が空を撫で、なにかを求め、諦める。本来は天女に悲愴さに美を見出させようとしたのかもしれない。ああ、しかし。
 夜霧の指先は空を裂く。なにかを掴み、引きちぎる――それは、すべてを喰らうあの男のサッカーと少し似ていた。他者を堂々と蹂躙していくさまは、羨望してしまうほどだ。
 一方で、濃紅色の着物は彼女の一挙手一投足にひらりとたなびき、あるいはぴたりと張り付いて、乱れもしない。激しさとに相反した奇妙な優雅さを強調させるのだった。
 ――この村のやつら、当てを外したな。
 夜霧の険しい横顔を眺めながら、響鬼はひとりごちる。
 彼女は確かに浮世離れしている。美しくもあるのだろう。だがそれ以上に、いつだって苛烈がすぎるのだ。
 羽衣を奪われ、泣き寝入りするような女ではない。

「夜霧さん」

 そっと名を呼ぶ。
 その声が彼女に届いたはずはなかったが――
 瞬間、夜霧は確かに響鬼を見た。引き結ばれていた唇がほんのわずかに綻んだ気がした。ひびき、と。
 どくんと胸が高鳴る。
 青い監獄での挫折を思い起こさせる女――割り切るには王様の血が濃すぎる。夜霧自身も紛れもない独裁の女王で、他人を遠ざけている。どうしようもなく厄介なひとだった。
 それでも。

「こういうの、なんて言うんだろうな」

 冷静なふりをして呟いてみても、動悸は治まらない。
 いつしか舞は終わっていたが、櫓の周囲に集まった村人たちも誰ひとりとして動こうとはしなかった。そんな中で真っ先に日常へ戻っていったのは子供たちだ。
 ぱちぱち……と。無邪気な拍手で大人たちも我に返る。

「あー……天女様の舞も終わったし、帰るぞ。ほら」

 子供たちを引きずっていくのは、きっと恐れたからだ。
(夜霧さん、あんたも罪なひとだよな)
 ついさっき彼女から投げかけられた言葉を、胸のうちで投げ返す――アンタも、革命の種を蒔いたんだ。
 そうして広場から子連れの姿がすっかり消えると、俄にあたりが騒がしくなった。残った村人たちだ。櫓を見上げ、口々に罵声を上げている。

「あれはなんだ」
「いつもの舞と違うぞ。なにを教えたんだ」
「引き摺り降ろせ」
「尼ども、報復のつもりなんだろう。台無しにしやがって」

 矛先は尼僧たちにも向いた。
 夜の下、響いていた演奏が止む。楽器を奏でていたのが尼僧たちだったからだ。村人たちに詰め寄られ、なにやら激しく言い合っている。
 その争いを収集したのは、例の男だった。

「はいはい、そこまで。女は俺が寺へ連れていく」

 たった一言で、あたりが水を打ったように静かになる。櫓の裏手へ回ったのだろう、男の姿が一瞬視界から消えた。その瞬間を狙って、響鬼はそろりと動き出した。
 じりじり後退し、広場の死角でそっと息を潜める。彼が夜霧になにをしようとしているのかは分からない。だが、彼らに自分の存在を思い出させてはいけないと強く感じた。




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