「辰ちゃん、なに描いてんの?」

 畳二畳分もある真っ白な模造紙。その上に陣取っている弟を、三輪秋寅は上から覗き込んだ。クレヨンをぶちまけて、どんな超大作を描いているのかと思いきや。どうやら模造紙は床を汚さないようにとの配慮らしい。神経質な弟は、手元の画用紙をさっと左手で裏返しながら、煩わしげな瞳を上げてきた。

「べつに。寅兄には関係ない」

 素っ気なく言って、早く向こうへ行けとでも言うように幼い顔を険しくする。
 まったく可愛げのない弟だ。
 けれど今更なそれを、秋寅は敢えて口に出すことはしなかった。代わりに弟の傍に転がるクレヨンを眺めて、予想する。予想することは得意なのだ。これでも。
 ――赤、緑、黄色、茶色、肌色
(ついでに今日はクリスマスイブ……とくれば、あれだね)

「クリスマスツリー、サンタクロース、トナカイ」

 人差し指をぴんと立てて、告げる。
 弟はやはり可愛げなく顔を顰めて、隠していた画用紙を表に返した。そこに描かれていたのは確かに秋寅が予想してみせた通り――
(予想、通り?)
 違和感を覚えて、首を傾げる。

「あのさ、辰ちゃん」
「なんだよ、寅兄」
「サンタクロースって、なんだっけ? お兄ちゃんに教えてくれないかな」
「はあ? もう呆けたのかよ。救えねえな」
「悪口はいいから。早く、言ってみて」

 本当に、まったく、これっぽっちも可愛げのない弟に、ぴしゃりと促す。辰史は怪訝な顔をしていたが、やがて渋々口を開いた。

「クリスマスの夜、子供のいる家に不法侵入を繰り返してプレゼントを配って歩くじいさんだろ? あと、赤い鼻のトナカイも飼ってる」
「うん、そうだね」

 分かっているではないか。弟にしては、まっとうな答えだ。
 うんうんと頷きながら――では、何故? と納得できない心持ちで続ける。

「じゃあさ、どうして辰ちゃんが描いたサンタさんは必要以上に赤黒いのかな? どうして子供を食い殺しそうな顔をしているのかな? あとさ、それ。ソリ引いてるやつ。トナカイ? 俺、この間テレビで同じような生物を見た気がするんだよね。謎の宇宙生命体が犬に寄生して、人間を襲うってホラー映画なんだけど……」 

 幼い弟を傷付けないよう慎重に言葉を選びつつ――秋寅は、早くも言葉というものの限界を感じていた。どういったら良いのか分からない。そんなことは、短い人生を適当な言葉で切り抜けてきた秋寅にとって、初めてだった。
 つまり、どこからどう見ても正常ではないのだ。
 弟の描いた絵は、絶望的にセンスがない。
(やっぱ、天はすべてを与えてくれるわけじゃないんだなぁ)
 兄弟の中でも、時に妬ましくなるほどに器用で才能に恵まれた弟である。絵が壊滅的に下手だというのは、意外な一面ではあった。何となく安堵しかけて、
(いやいや、お兄ちゃん的には何にも安心できないって。精神科医とかに診せたらちょっと病んでる系に分類されちゃいそうな絵だよ、これ!)
 かぶりを振る。

「辰ちゃん」
「なんだよ」

 遠回しに自分の絵が否定されていることは分かったらしい。どことなく涙目な弟は、やはりどことなく涙声で訊き返してきた。
 ――それでも、言わなければならない。
 自分まで泣きそうになりながら、秋寅は弟に告げる。

「サンタさんはね、刃物なんて装備していないんだよ」
「だって、泥棒と間違われて襲われたら危ないじゃんか」
「うん、辰ちゃんの優しさは分かるんだけどね。でも、もっと一般人にも優しく……! ほら、普通の人にはサンタクロースに抱く夢とか希望とかがさ、あるから。いろいろ。イメージってものが」
「一つのイメージにとらわれるのは良くないって、おじいさまも言ってたんだぞ」

 そんな言い訳をしつつも、一応は聞き入れてくれたのだろう。
 辰史は顔を歪めながらも白のクレヨンを手にとって、サンタクロースの腰からぶら下がった日本刀めいたものを上から塗りつぶしたのだった。

 それは今から約二十年ほど前、クリスマスイブの夜に兄弟が交わしたやりとりである。





つづく