君のいない休日

「どうして影二が怒っているのか、分からないな」
 ユナ・ナンシィ・オーエンが途方に暮れた様子で降参するのを、影二は不機嫌な顔で眺め、そして小さく溜息をついた。言いたいことはいくつかあったが、理性でもって思い留まった。
 そもそもはユナの上司――サウスタウンにいるビリー・カーンから、仕事をひとつ頼みたいと連絡があったことに端を発する。日本にいるユナを呼び戻すとはよっぽどの事情かと思いきや、なんのことはない。ただの調査任務だというのだから、信頼されているというかなんというか――まあ、いずれにせよ面白い話ではない。
 ユナはいつだって、ビリーの命令におおむね忠実である。ビリーの方も彼にしては珍しく気を許している節があり、一般的な上司と部下というよりは、師弟というのが近いのかもしれない。それは少なからず養父との関係を、影二に思い起こさせる――とはいえそれを口に出せば、ビリーへの忠心に妬いている、と、そんな馬鹿げた話になってしまうのだが。
 さて、どうしたものか。機嫌を直す気にはなれず、さりとて不機嫌の理由を教えてやる気にもなれず、また本音を言えば落としどころも見失っていた。
「ねえ、影二。わたしさあ、向こうで結構大変な目に遭ったんだよ」
「自業自得だ」
 我ながらにべもない。さすがに素気なくしすぎたかと思ったが、ユナは特に気にも留めなかったようだ。慣れているという顔で――それはそれで腹が立つのだが――ひょいと肩をすくめてみせただけだった。
「そう言わないでよ。潜入で入った先のカジノで突然銃撃事件が起きたからって、わたしは悪くないじゃん? なのにビリー様もハイン様もすごい剣幕で、釈明しても怒られそうな雰囲気だったから挨拶もそこそこに逃げ帰ってきたっていうのに、帰ってきたら影二まで怒ってて……なんて、踏んだり蹴ったりっていうか」
 ちらりと視線を上げて、ユナ。
「せめて影二にはさ、お帰りって言ってもらいたかったのに」
「一方的に行ってきますと言って飛び出して行ったやつが、よく言う」
「だったら影二も一緒に来てくれればよかったんだよ。そうしたら向こうで遭った事件だってどってことなかっただろうし、影二にサウスタウンも案内できたのに……」
 これは抗議というより、本気でそう思っているような口ぶりだった。そのことに多少なりとも気をよくしながら、影二は呟いた。
「サウスタウンは――以前、行ったことがある」
「ああ、そういえば第一回KOFに出場したんだったね。その頃はわたし、ビリー様に顔も覚えてもらってないくらいの下っ端だったから詳しくは知らないけど……見たかったな」
「オレがリョウ・サカザキに負ける姿をか?」
「そうじゃないって、分かってるくせに」
 ユナもさすがに唇を尖らせて、じとりと睨んでくる。それで空気もわずかにゆるんだ。そのことに内心安堵して、影二はほんのりと唇の端をつり上げた。
「ああ」
「じゃあ、なんでそんな意地悪言うの」
「意趣返しだ」
「なんの」
「さあな」
「わけが分からない」
 難しい顔で呟いているユナに、だろうなと、これも胸の内でのみ呟いた。分かるはずがない。考え込まなければ答えが出ないような、複雑な問題ではないのだから。
「まあ、いいや」
 こちらに答える気がないことを察してか、ユナはあっさりその話題を放り投げた。生来の性分か、それとも彼女なりの処世術か、物事に執着しない。そういうところが面倒でなくていいと思うこともあれば、若干のもどかしさと苛立ちを覚えることもある。ちょうど、今のように。
 ぼんやり考えていると、見上げてくるユナと目が合った。
「機嫌も直ったところで改めて、ハイ」
 青い目を悪戯っぽく微笑ませ、両手を広げてみせる。その手の意図するところが本気で分からないわけではなかったが、影二は素知らぬ顔で訊き返した。
「なんだ、その腕は」
「ハグ。お帰りって、してよ」
「ハッ。なにゆえ、オレが」
「じゃ、ただいまのハグ。こっちからする」
 むしろ最初からそのつもりだったのだろう。こういうときばかり素早く(というよりは、日頃の鈍さこそ"ふり"なのかもしれない)腰のあたりに両腕を絡め、ぎゅうと抱きついてくる。
 ――まったく、馬鹿げている。
 というのは、子供じみたユナではなく突き放そうともしない自分のことだ。思わず肩に手を置きかけたが、慣れた体温と指先を掠めた柔らかな髪の感触がかえってそれを思い止まらせた。行き場を失った手であちこち跳ねたユナの髪を撫でつけてやりながら、なんとなく声をひそめて囁く。
「まったく、大袈裟な。たかだか一週間だ」
「一週間も、だよ」
 そう言って拗ねる彼女は――ああ。悔しいことにおのれの扱いをよく心得ている。




END

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