とある女の横顔に

 花を、植えているのかと思ったのだ。
 最初は。
 そうでないらしいと分かったのは、夕映えに照らし出された横顔がなんとももの悲しく見えたからだ。それなりに老朽化した学舎の陰、ひっそりと作られた花壇の前で。

 木の上から女を見下ろして、ユナ・ナンシィ・オーエンは眉をひそめた。空気は夜の気配を含んで、ひんやりと冷たい。というのに、彼女は小さなスコップで花壇の土を掘り返している。
 雨宮真祥。
 その名を口の中で呟いてスッと息を吐く。八神庵が親しく付き合っている数少ない――好意の有無を条件とするならば、唯一の――人物。調査の過程に突如として浮かび上がった彼女については、謎が多い。
 公的書類においては中学校教諭、とある。家族構成は両親のみ。そのどちらも記録上はごく普通の会社員で、特に目立った経歴もない。家系を数代遡っても前科どころか借金歴もない、今時珍しいくらいの真っ当な一般人だ。
 とはいえ八神の関係者であるという点を鑑みるとかえって不審である、というのがハワード・コネクションとしての見解だった。草薙京の前例もある。彼の恋人もどこにでもいそうな高校生だが、最近の調査からオロチとの因縁を指摘されている――となれば、雨宮真祥についても霊的要素も含めて調査続行の価値はある。そんなところだ。
 その、彼女――
 真祥は適当な深さの穴を掘ると、中になにかをそっと横たえたのだった。
「ナニやってんだろ」
 ユナは怪訝に呟いて、首から下げていた双眼鏡を覗き込んだ。軍からの払い下げ品で、コンパクトなわりに性能がいい。ハワード・コネクションからの支給品ではなく、ビリーから個人的に譲り受けた数少ない愛用品だ。が。
 次の瞬間、どんよりと濁った白い目玉とかち合って、ユナはぎょっと仰け反った。
「目!?」
 慌てて、もう一度双眼鏡を覗く――改めて見れば、どうということはない、真祥の足下には魚が横たわっていた。赤い尾鰭の、特に珍しくもない金魚だ。食用には適さない。食べられないこともないが、手間の割に美味しくもない――ただの観賞魚。
 真祥は金魚を傍目にももどかしくなるほどの手つきで埋めると、丁寧に手を合わせた。
 寒風に吹かれながら、どれだけそうしていただろう。鼻の頭がすっかり赤くなった頃に彼女はようやく立ち上がった。湿っぽい瞬きをひとつ残し、学舎の方へ引き返していく。
 その気配が完全に消えたことを確認すると、ユナはすとんと地面に降りた。
 花壇に近寄り、墓標代わりにほんの少しだけ盛り上がった土をナイフの柄で掘り返してみる。土の中には、やはり泥にまみれた金魚の死骸がひとつ。念のために腹を切り裂いてみたところで、臓物以外のなにが入っているわけでもない。
「…………?」
 本格的にわけが分からなくなって、ユナは首を傾げた。これが金魚の墓でしかないならば、彼女はなぜ神妙に手を合わせたりしたのだろう?

 ***

 そんなことがあったのだと告げると、同盟者――もとい如月影二は額を押さえて呻いた。
「ハワード・コネクションは、まだ無意味な調査を続けておるのか」
「無意味かなあ。いや、確かにコッチの気配にも気付かないようなシロウトだけど、得体の知れないところはあると思うんだよ。掴み所がないっていうか、キンギョの話じゃないけどさ。たまによく分かんないことしてるし」
 ぼやいて、ユナは手の中でナイフをくるりと回した。金魚は埋め直したが、なんとなく不安が拭えない。なにか違和感がある。まさしく喉に引っかかった、魚の小骨のように。
「それは……」
 影二が口を開いた。珍しく躊躇ったようだ。視線だけで続けるように促すと、彼は溜息とともに吐き出した。
「いや。それこそ無意味な証に他ならぬと思うが」
「どういう意味?」
「魚一匹に心を砕くような生き方をしてきた者もいる、ということだ。お前には……」
 分からんだろうが、とでも言おうとしたのかもしれない。けれど影二は思い直したようにかぶりを振ると、視線を遠くへ投げた。
「オレもお前の側だったな。感傷に浸るような生き方はしておらん。己に、その資格があるとも思わぬ。ただ、そういうものとして理解するだけだ」
 まなざしに微かな憐憫を見つけて、ユナは影二から目をそらした。理由も分からないままに、酷く――酷く後ろめたくなってしまったのだ。
 ナイフを握った手ごと背中に隠し、それでも言わずにはいられなかった。
「……わたしね、ありもしない意味を探してキンギョのお墓を掘り返したんだ。なにかあるかもって、死骸のお腹も切って確かめた。フツーじゃないんだね、こういうの」
「どうであろうな。仮にオレがその場にいたとして、同じように確かめただろうが」
「フォローしてくれてる?」
「なんのことやら」
 素知らぬふうに言いつつも、肩に触れてくる手つきは優しい。そのことにかえって傷付きながら、ユナは一度だけ目を瞑った。あのとき、雨宮真祥はどんな顔をしていただろうか。目蓋の裏で思い出そうとして――

 
END

TOP