自業自得の昼下がり

 話を持ちかけてきたのは、草薙京だった。
「なあ、影二。ドッキリに興味ねえか? 彼氏の部屋にAVがあったらってやつ」
「は?」
 としか言いようがなく、如月影二は眉をひそめた。まったくもって意図が分からず視線を落とす。京の手にあるのは、なんともいかがわしいタイトルの光学ディスクだった。パッケージの女優が挑発気味に人工物のような胸を強調している、有り体に言って下品な代物である。
「……いくら二十歳を迎えているとはいえ、学生の身分で感心せんな。くだらぬドッキリなど仕込む前に、学期末試験の準備でもすべきだと思うが――」
「忍装束でそこらをうろついてるくせに、微妙な正論を吐くのはやめろよ……」
 額を押さえながらなぜか傷付いた顔で、京。とはいえ、それで落ち込むほどのしおらしさがあるはずもなく、彼は何度か頭を振ると何事もなかったように続けてきた。
「で、どうだ?」
「どうもこうも、前提が成立せん。拙者は決まった宿を持たぬ身であるし、そもユナの彼氏でもない。仕掛けるならビリーのやつにして、上司の部屋にAVドッキリの方が……」
「やめてやれよ。気まずすぎるし、その後の職場関係に支障が出るだろ」
 先の意趣返しというわけでもないのだろうが、そんなもっともなことを言うと京はひとつ指を立てた。よっぽどユナの驚く顔が見たいのか、それとも単純に暇を持て余しているのか――珍しく食い下がってくる。
「ユナって、お前のこと好きだよな?」
「ああ」
「いや、そこ即答するのもどうなんだって話だけど……そのわりに淡白だと思うんだよな」
「淡白?」
「そ。なんだかんだ言ってビリー様ビリー様だろ、あいつ。お前に対しては忍者への憧れとか、恋愛感情とはまた違うんじゃねえかって……」
 それは、ありがちな挑発だった。話の流れからすると露骨すぎて、いっそ苦笑いしたくなるほどだった。けれど一方で――話の流れを無視するならば――無邪気な指摘のようにも聞こえた。少なくとも、一度でもそうと感じたことがなければ出てこない類の台詞ではあった。いずれにせよ、その瞬間に酷く面白くない気分になって影二は険悪にうなった。
「……聞き捨てならんな」
 そう言わされていることは自覚しないでもないが、元よりカッとなりやすい性分である。
「こっちから仕掛けておいてなんだけどよ、お前って自分勝手だよなあ」
 呆れ顔の京はさておき、それが事の発端だった。

 そういうわけで――
 視線の先には、ユナがいる。ハンディタイプの掃除機を片手に、手狭な1Kを忙しなく行ったり来たりしている。はてしなくいい加減なようでいて、彼女は意外にも綺麗好きだ。日頃留守にしがちなのを気にしてか、たまの非番で掃除や洗濯に没頭することもままある――あるいは、上司であるビリー・カーンの影響でないとも言えないが。
 出会ったばかりの頃にはソファくらいしかなかったこの部屋も、今は多少物が増えた。それまで彼女が寝床代わりにしていたソファを影二が陣取ってしまってからは、代わりに折りたたみ式の簡易ベッドが導入されたし、部屋の隅には来客用の布製収納ボックスが詰まれている。中身は(主に影二の)衣類と日用的な消耗品である。特に見られて困るようなものもないが、今は例のいかがわしい光学ディスクがわざとらしく突っ込まれている。
(……まったくオレはなにをしているのだ)
 ソファの上で忍具の手入れをしつつ、影二は落ち着かない心地でユナを見た。彼女は掃除機をかけるために収納ボックスを持ち上げ、そして。
「これ……」
 ぎょっと、目を剥いた。その反応にこちらもぎょっとしながら、声をかける。
「ユナ?」
 びくりと肩を跳ねさせ、ユナが振り返ってきた。室内にあってなお空の色を映したように青い瞳が、ぐにゃりと歪む。それから泣き笑いにも似た呟きが――
「影二、理想高すぎじゃない……?」
「は……? は?」
 狼狽しつつ訊き返す影二に答えることなく、彼女は冗談のようにその場に崩れ落ちた。
「ううっ。正直、影二がこういうのに興味あるって分かって少し安心したけどさあ……露骨にこういう上位互換を持ち出されちゃうと心が折れるっていうか……なるほどわたしのこと歯牙にも掛けてくれないわけだって」
「待て。話が読めんのだが」
 めそめそしているユナに若干引き気味で制止する。と、彼女は恨めしげな顔で一言。
「おっぱい」
「妙齢の娘が唐突に、気でも違ったか?」
「ち、が、うー!!」
 地団駄踏みつつ、ユナは収納ボックスの中の光学ディスクを床に投げ捨てた。パッケージに映った女を指差し、さらに続けてくる。
「わたしよりおっきい……スタイルもいい……顔も可愛い……」
「見れば分かる」
「容赦ないー!!」
 つい正直に答えてしまったが、思えばあんまりな言い方だったかもしれない。拗ねて膝を抱えてしまったユナを見ながら、影二は頬を掻いた――そういう反応を見たかったのだろうと言われれば否定はできないものの、落ち込ませたかったわけでもない。溜飲が下がった代わりに酷く居たたまれなくなって、ついでにドッキリだとネタばらしするタイミングも逃してしまった。
 どうしたものかと考えた末に、告げる。
「……言っておくが、オレのものではない」
「だったら、誰の?」
「草薙京に言われて預かったものだ」
 事の発端である青年にあっさり罪をかぶせると、影二は鼻を鳴らした。ユナはといえば、膝を抱えたまままだ疑わしげに見上げてくる。信用できないというよりは、よっぽど劣等感を刺激されたという顔だ。
「それ、ホント?」
「オレが嘘を吐いたことがあったか?」
「って言われると、ないような気もするしあるような気もする」
「ならば言い直す。この件に関して嘘は吐かん。考えてもみろ、日頃テレビを観るような環境もないオレが持っていたところで鳥除けにしかならんだろう」
「テレビ、ここで観られるよ?」
「なんの拷問だ、それは」
 申し訳程度に備え付けられた小さなテレビを指差す彼女に、影二はがっくりと肩を落とした。そのやり取りでようやく安心したのか、視界の端でユナがふにゃりと頬を弛ませるのが見えた。
「なんて、さ。疑ってないよ。影二の趣味じゃないなら、よかった」
 その露骨さは、いつもなら皮肉のひとつで冗談に変えてしまうところではある。が、
「……大体、上位互換と言った覚えもない」
 それは、ほとんど意識せずに出た独り言のようなものだった。もっとも、会話の途切れた狭い部屋に声は意図せず響いたが。
 ユナと目が合う。
「へ……?」
 気の抜けた顔からまた一転して口をぽかんと開けるその間抜け面をもう少しだけ見ていたいような気もしたが、反面でやはり居たたまれずに影二はぱっと目を逸らした。
 そうなってしまえば、後には奇妙にも胸のざわつくような気まずさだけが残る。
 ろくでもない話には乗るものではないなと顔をしかめ、影二は床からAVを拾い上げた。そこには変わらず、例の女優が映っている。顔に張り付いた挑発的な笑みも、媚態も変わらない――というのに、どうしてか。そこに一瞬だけユナを重ね合わせてしまったのは。
(つくづく、オレはなにをしているのだ……)
 途方もなく情けない心地で。でなければディスクを粉砕したい衝動を抑えながら、
「静殿に渡してこよう」
 短く言って、影二はベランダから外に飛び出した。背後からはユナの引き留める声が聞こえたような気もするが、振り返る気にはなれなかった。



END

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