奴ならば、これも惚気と呼ぶのだろう

 嗅ぎ慣れた火薬の臭いに、なにを感じることもない――いや。彼女の領分であれば、いっそ愛おしいのかもしれない。構えられた拳銃から飛び出した銃弾が敵を絶命させる、その瞬間を見せられればこそ如月影二はそう思う。
「影二、楽しそうだよね」
 視線に気付いた彼女、ユナ・ナンシィ・オーエンは肩越しに振り返ってきて呆れたように笑った。いつもどおり穏やかに。
 なんてことのない、つまらない任務だ。潜入調査と暗殺。ハワード・コネクションという組織の実態を鑑みれば、定常作業ですらある。その任をユナが受けるというのも今にはじまったことではないが、同行予定だったビリー・カーンがKOFに出場するということで影二が代理を請け負ったのだった。金払いのいいハワード・コネクションは如月の里にとっても上客ではある――という本音半分、建前半分。
 結局のところ、この抜け目ないようでいていまいち頼りない恋人が心配だったという話でしかない。でなければ、日頃は不抜けきった彼女の残酷な顔を見たいがためかもしれない。それを言えば、元チームメイトは悪趣味だと顔をしかめるのだろうが。
「ギース・ハワードはなにを企んでおるのやら」
 誤魔化す代わりにひとつ毒づく。
「さあ」
 ユナの返事は簡潔だった。
「わたしは知らないから――いや、ホント、なにもそんな顔されても聞かされてないんだってば。ハインさまじゃなくて、よりにもよってリュージ・ヤマザキと組むなんて」
 わたわたと両手を振るユナに足払いをかけて、転ばせる。その瞬間に飛んできた投げナイフは直前まで彼女の頭があった場所を通り抜けていったが。地面を転げた体勢から放たれた銃弾が今度は軌跡を遡り、それで終わりだ。
「いつまで転がっているつもりだ」
 助け起こしてやるでもなく尻を蹴り上げる。ユナは文句を言いながら跳ね起きると、影二の背にぴたりと背をあわせた。
「ビリー様、大丈夫かなあ」
「他の男の心配とは、なんとも余裕ではないか?」
「妬いてる?」
「さて、どうとでも。お前の好きなようにとれ」
 なんとも気の抜けたやり取りだった。
 とはいえ油断をしたつもりもなく、影二は腕を振り抜いた。美しく弧を描いた銀色が相手の額を貫く――絶命の瞬間を最後まで見届けることもせず、断末魔の叫びでそれと知る。
「だったら――」
 背後の気配でユナがリロードするのが分かる。
「うん。妬いてることにさせて」
 頷くことはしなかった。けれど否定もしなかった。
 それで十分だったのだろう。彼女にとっては。
「ひとり、ふたり、さんにん。増えてる」
 不意に、声に真剣さが交ざった。
「弱音か」
「まさか。影二がいるんだから、それはないよ」
 分かっている。声に笑みを含ませながら、ユナは続けた。
「特別手当て付いたらいいなって。そしたら、一緒に旅行行こうよ。あったかいトコ。リゾート地があるような――」
「休暇といったところで碌なことにはならんのだろうな」
 こちらはどこか諦めた心地で、苦笑交じりの吐息をひとつ。ひゅっと細く吐き出した。その音を合図に、地面を蹴った。
「つまらぬことで死ぬなよ」
「善処する」
「あてにならん。なれば拙者が先んじてことごとく殺すまでか」
 楽観も悲観も諦念も憤怒もなく、ただ呼吸とともに殺意を吐き出す。背後でユナが少しだけ震えた。気がした。
 おそらく、それは恐怖ではなかった。
「ん」
 小さく頷く――声のなんとも悦びに満ちたこと。
 ふと閨事を思い出し、上唇を舐める。
「この貸しは高く付くぞ」
 呟きに銃声が重なった。
 それでも、彼女には聞こえていたに違いない。
 そうと決めてしまえばあっさりしたものだ。結局のところ、互いに他人の命を奪うことには長けている。すべてが終息した後に残る気味が悪いほどの静寂に懺悔をするでもなく、かといって血と汚物の臭いに胃の中身を吐き出すでもない。
「こういうのもさ、二人きりの世界って言うのかな」
 いかにもロマンチックに。でなければ陰鬱にユナが呟く。それも、いつものことではある。いまさら呆れもしない。
 ――拙者も相当毒されている。
 ひとりごちて、影二は隣に視線を向けた。
 ちょうどこちらを見上げたユナと目が合う。
「……こんなもんだよね、わたしたちは」
「ああ。そうだな」
 なにがと訊き返すことはせずに、影二は頷いた。
 ユナの腰を抱く。触れあった箇所から伝わってくる体温が心地よい。感傷的な気分になるのは人肌が恋しいせいだ。呟くと、彼女はそうかもねと囁いた。夜の奈落へ流れ落ちていった血の痕を、ぼんやりと目で追ったまま。
「だったらさ、返そうか。借り」
「ああ」
 短く頷く。
 それすらも愛おしい――ありふれた日常でしかなかった。








TOP