青い部屋

 唐突だが、ギース・ハワードが日本で新しく事業を興した――詳細は省くが、計画の一環として設置されたのがビリー・カーンをマネージャーに据えた高級クラブだった。活動の資金稼ぎだとか、情報収集だとか、目的は様々にあるのだろう。
「それでお前に声がかかるというのは理屈としては理解ができぬでもないが……オレとしてはこう言いたい気分だ。ビリーのやつ、お前をキャバ嬢に仕立て上げるとは正気か?」
 胸の大きく開いたメイド服に身をつつむユナを見ながら、影二は顔をしかめた。
 こちらもいつもの忍装束ではなく、シンプルな濃い青のワイシャツだった。腕のところには警備スタッフを示す腕章を留めている。バイトをしないかとビリーに誘われ、乗った形だ――というのは、ギースの目的を調べるための方便だが。
「わたしは人数合わせの雑用みたいなものだから、そう変なことでもないんじゃないかな」
 ユナはいつもどおり呑気なものだ。小首を傾げつつ、カウンターに並べられたグラスを丁寧に磨いている。つまりはまあ、本人の言うように雑用だった。
「それで納得してしまうお前もどうかと思うが」
「だって実際モテないし、わたし。その点、他の子たちは優秀だよ。ほら、常連さんが連日通いづめでさ。しかも彼らお金持っててじゃぶじゃぶ使ってくれるから、ビリー様も笑いが止まらないんだろね。最近、すっごく機嫌よくて助かる」
 気楽そうに言うと、ユナはグラスを伏せて戻した。間をおかず次に手を伸ばしながら、逆に訊ねてくる。
「影二は、羨ましくならないの?」
 ああいうの。
 と、指差した先にあるのは離れた席で懇意の娘と酒を飲んでいる格闘家の姿だ。
「可愛い女の子とお喋りして、お酒飲んで」
「ならん」
「さすが、ストイック」
「というわけでもなく」
 それを告げることに抵抗がないわけでもなかったが、
「間に合っている」
 横目で見ると、ユナはぽかんと口を開けた。
「可愛いかはさておき可愛げはないでもない。雑用に追われるお前とたまにこうして喋りながら、適当に酒をくすねカウンターで一杯というのも悪くは――」
 言いかけて声をひそめたのは、ユナを呼ぶビリーの声が聞こえたからだった。そんなことを言われるとは思いもしなかったという顔でまだ呆けているユナの手から、グラスと布巾を取り上げる。
「指名のようだぞ」
「ああ、そだね。行かなきゃ」
「悪趣味な男もいるものだ。妙なことをされたら呼べ」
「う、うん」
 抗議のひとつでも返ってくるかと思いきや、動揺したままぱたぱたと走っていく。その後ろ姿を眺めていた影二は、入れ代わりでやってくるビリーに気付いて舌打ちした。
「よお、如月。暇そうだな」
「店として、警備の者が出張る事態は少ない方がよかろう」
「そりゃそうだが」
 肩をすくめ、ビリーはカウンターにどかりと座り込んだ。
「これも仕事とはいえ慣れねえよなあ。おい、ウイスキー。ストレートで一杯」
「ボーイに頼め」
「てめえがたまに酒飲んでるの知ってて見逃してやってんだ、少しは気を利かせろ」
「拙者が日頃気を利かせていないような物言いだが?」
「あのな。知らないところで気を利かせてるような言い方はよせ、厚かましい」
 気に入らないことでもあるのか、いつにも増して口が悪い。影二は溜息をひとつ吐くと、カウンターの奥からウイスキーを一本取り出した。
 ユナが磨いていったばかりのグラスをふたつ並べ、琥珀色の液体を注ぎ込む――てめえも飲むのかよ、というビリーの視線には気付かないふりをして一方を彼に差し出した。
「笑いが止まらんほど荒稼ぎしていると聞いていたが、随分な物言いだな?」
「あいつ、べらべら喋りやがって……」
 受け取ったグラスの中身を呷りながら、ビリーは顔をしかめている。
「まともな警備会社と契約してりゃ、今頃てめえからも金を搾り取ってやれたんだろうなと思えば、悪態のひとつやふたつ吐きたくもなる。金も払わずに店の商品を食いやがって」
「母体がハワード・コネクションと知って契約するような警備会社はまともとは言えん。かといって、知らずに契約するような間抜けは話にならん。精査にかかる手間と費用を渋って拙者に声をかけてきたのは貴様だ、ビリー」
 こちらはグラスに手を付けず、影二は冷たく指摘した。
「ああ、そうだ。ぐうの音も出ねえよ」
 苦い声で呻いて、ビリー。
「必要経費はケチるもんじゃねえとつくづく思った。ユナに指名客が付かないことを考えりゃ損もそれなりだ。オレの部下だから切るわけにはいかないが、今後稼げる見込みも薄い。今夜の相手も、どうせてめえが脅して追い払っちまうんだろうし――」
「なんの話やら」
 惚けつつ、空になったグラスにウイスキーを足してやる。ビリーは半眼でぶつぶつ呟いていたが、すぐに諦めたようだった。静かになった頃合いを見計らって手元の酒を飲み干すと、影二はふらりとカウンターから離れた。
 どこへ行く、と言いたげなビリーに告げる。
「見回りだ。給与泥棒と言われては敵わぬ」
「問題は起こすなよ」
「フン、馬鹿なことを。問題を起こすのは客で、収めるのが拙者の仕事ではないか」
「とか言って、難癖付けて気に入らねえ客追い出してるだけだろうが……」
 ぼやきは聞かなかったことにして、影二は歩き出した。



END

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