02

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「お祝いって言ったら、やっぱお寿司かな。今日はぱーっと出前取ろ、出前!」
 不老不死になってみても、世界が急激に変わったわけではない。疲労は当たり前のように感じるし、服は破れてあちこち煤けてもいる。腹も減る。シャワーを浴びて、服を着替えて、夕食の仕度――をする気にはなれなかったため出前を取った。寿司にしたのは、寿司屋のチラシを見た影二が興味をそそられたような顔をしたのを見逃さなかったからだ。
(なんて、いい奥さんだよね)
 冗談まじりにひとりごちて、ユナは手首のあたりに視線を落とした。太歳が倒れた今、そこに呪いの紋はない。
(……そういえば、ビリー様は不老不死の方法を探してたんだっけ。怒られるかな)
 そもなにに対して怒られるのか――ギースを差し置いたことか、それとも太歳の肉を前にしてサンプルのひとつも取っておかなかったことか、でなければブラックドッグの呪いを解きたがっている彼とは逆に人外の道を選んでしまったことか。
 そんな取り留めのない考えも、インターフォンの音で途切れるのだが。
 二人分以上ある寿司桶を受け取り、テーブルの上に置く。インスタントの吸い物と茶を――これだけは、影二が来た翌日にそれなりのものを買ってきた。高温で浸出した緑茶を、均等に注ぐ。
 深煎りで渋みは少ないが、薫り高く飲みやすい。湯呑みに口を付けながらユナは今更ながらに気付いた。
(もしかして、飲みやすいのを選んでくれたのかな)
 影二の顔をこっそり盗み見る。
 拳崇たちと別れてからずっと難しい顔をしていた彼は、小皿を片手に今は寿司を選びかねてやはり眉間に皺を寄せている。その様子がおかしくて、ユナは思わず吹き出した。
「たくさんあるんだから、どれ食べたっていいんだよ。なんなら、全部でも――……」
 だが、影二が考えていたことは違ったようだ。
「……お前が、どれを好むのかと」
「へ」
「自分のことばかり、と言っただろう。あのときは開き直ったが、思い返してみれば確かにオレはお前の好きなものひとつ知らんのだ」
 伏し目がちで、酷く気まずそうに。
「そういうときは……」
 そんな言葉ひとつで喜んでしまっている自分を自覚して、ユナは苦笑交じりに言った。
「訊けばいいんじゃないかな。わたしに」
「…………」
 思いもよらなかったことを聞いたとでもいうふうに目を開いて、影二。
「わたしもね、お互いのこと全然知らないよね。いっそう悪いのはさ、わたしの場合はそのくせ影二のことを信用してたつもりだったんだって。そういうところ。ほだされたような顔して、結局夫婦ごっこって言葉に甘えてたんだと思う。いつか終わることだから知らなくてもいいやって」
 彼の顔を見つめたまま訊ねる。
「ねえ、影二はお寿司のネタなにが好き?」
「鯛と鯖の押し寿司が――」
 答えて、影二は少し顔をしかめた。
「江戸の時代に食いに行ったことがある。もっとも極限流とかち合って、ろくに味わえもしなかったが。あの赤鼻め……」
「天狗にもいろいろあるんだ、流派」
「とはいえ我ら如月の烏天狗が最強であることには変わりない。ところで、お前は」
 腹立たしそうに鼻を鳴らして、じっと見つめ返してくる。ユナは寿司桶の端を指さした。
「玉子かな」
「小童か」
「生のお魚食べる習慣ってそんなになかったから。でも、玉子はビリー様が好きで」
「ならば鯛と鯖も好きになってもらおう」
「どうして?」
 訊き返されることは予想していなかったようだ。もしかしたら、無意識だったのかもしれない。
「どうして、と訊かれると……」
 答えは聞けなかった。
 影二は押し黙ると考え込むようにして、それきり会話は途切れた。唐突に気まずくなった食事を適当なところで切り上げ、部屋に戻ってから――ユナはベッドにもぐり込むでもなくクローゼットの中から使い慣れた旅行用の鞄をひとつ取りだした。
 着替えとフィールドワークの道具、そして最低限必要な書類や通帳だけを詰め込む。もとよりひとつの場所に根を張るような生活はしていなかったが、それにしても仕度はあっという間に終わってしまった。そのことをほんの少しだけ寂しく思いながら、ライティングデスクに向かう。真っ白な一筆箋を一枚取り出して、
 ――影二へ。
 続ける言葉に悩みつつ、ようやくひとこと。
 ――また、いつか。
 そう書き付けるといくらか晴れやかな気持ちになった。心残りがあるとすれば――
「少しは気にしてくれてたのか知りたかったかな」
 もっとも、それこそ本人に言えという話でしかないのだろうが。ユナは何度か首を振って未練を追い出すと、鞄を肩に担いだ。音を立てないようにそっと部屋を出て、外に向かう。




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