天狗に嫁入り!

 いつだって、黙って待つばかりだったのだ。待っていた。親を亡くした日も、施設で過ごすようになってからも、呪いを得たあの日さえ。ずっと。たとえばあの日、自分から助けを求めたのなら。ビリー・カーンが起こしにくる前に自分から起きていって、挨拶をしていたのなら。諦めて死を待つのではなく、自分から行動を起こすほどの気概があったのなら。
(もっと早くビリー様の力になれたのかもしれないし、影二に嘘を吐かせることもなかったのかもしれない。なんて、言うつもりもないけど)

 降り注ぐ光の筋が太歳の体にいくつもの穴を開けた。凶神と畏れられた古のあやかしといえども、龍が相手となると話は別だ。世界中、ありとあらゆる地域で名や姿を少しずつ変えながら時に信奉され時に恐れられるその存在は、現代においてなお?半現実?の生きものとしての強さを持つ。強烈なエネルギー波に細胞は焼き切られて、再生も間に合わない。次第に闇が削り取られていく。
 とはいえ、その攻撃は中の二人だけ避けてくれるものでもない。時折掠める熱に、ただ耐える。攻防が終わるのを待つ。影二は大丈夫だろう。烏天狗の黒い翼が辛うじて彼を守っている。彼の頭を抱えながら、ユナは数を数えた。意識の暗転。再構築。暗転。再構築。暗転。再構築。繰り返す。それはきっと、腕の中のものがなければ耐え難い苦痛だったに違いないが――
 不意に、光が止んだ。
「幾度死んだ」
 訊ねる声が聞こえてくる。
「分からないや。数えてたんだけど」
 答えて、ユナはぱちりと目を開けた。
 腕の中の影二と目が合う。
「助けなど不要だった」
「かもね」
「オレにはこれが……」
 言いかけてやめたのは、自慢の翼がぼろぼろになっていることに気付いたからだろう。使い物にならないほどではないが、万全には程遠い。ユナは彼の翼から視線を外すと、溜息を零した。
「助けたわけじゃないんだよ」
「ならば」
 反駁しようとする影二の唇に指を当て、ユナはかぶりを振った。
 太歳の肉に――大蛇や人魚同様に――不老不死の効能があることは伝承のひとつとして伝え聞いていた。
 もっともそれが事実である確証はなかったし、食べたことによる副作用がないともかぎらなかったが。
「約束。守るために一番大事なところを拳崇に譲ってくれたんでしょ。だったら、こっちも死ぬわけにはいかないじゃん。わたしの意地だよ」
 嘘偽りなく、また見栄もなく。ただひとつの本音を告げる。影二はどこか傷付いた顔をしていた。生まれてはじめて自分の思い通りにならないことがあると知った子供のように。
「そんな理由で不老不死になるな――」
 呻く影二に、
「仕方ないんとちゃう?」
 そう言ったのは、空から降りてきた拳崇だった。するすると龍から人の姿に変じ、その背には気を失った雅典娜を負ぶっている。
「不老不死にならな死んどったんやろ? 太歳に彼女呑まれた時点で詰みや。烏天狗の兄さん」
「貴様……」
 拳崇は影二の視線から逃げるように、また空へ飛び上がった。まるで水の中を泳ぐ魚だ。優雅に上昇しながら声を投げかけてくる。
「これを機に腹割って話したらええんちゃう? オレは……雅典娜もこんな感じやし西海に戻るわ」
 最後まで湿っぽさを感じさせないところは彼らしいのかもしれない。あっさり遠ざかっていく二人を見送って、ユナは影二を振り返った。
「行っちゃったね」
「ああ」
「また会えるかな」
「その気になれば」
「そっか」
 会話も続かない。酷く気まずい。
 だが不思議とそれを言うことに躊躇はなかった。
「ひとまず帰ろうか、影二」
 あの日とは逆に、彼に手を差し出す。不安になるほどの長い空白を挟んだのちに影二は伏し目がちで頷いた。手を握り返してくることもなく――
 たった一言。
「ああ」
 




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