08

 ばくん、と。
 彼女が呑まれるのを見ていた。
「あ……」
 先に傷付いたような声を上げたのは、拳崇だった。そのことに苛つきながら、影二はそちらに目を向けた。雅典娜に抱えられて離脱した少年は 今は離れた地面の上に下ろされて血の気の失せた顔をしている。
「いきなりしくじってどないすんねん!」
「手を掴まなかったのは、ユナだ」
 言ってから、なんとなくじくりと胸を刺すものがあった。おそらく気のせいではあろうが。おさまりの悪い感情を振り払って、相手に向き直る。
 地面ごとユナを呑み込んだ肉の塊は、動くでもなくでんとただそこに在る。山の村で見た眷属より、さらに大きい。巨象ほどはあるだろうか。
 影二の視線に気付いてか、正面のあたりがぱかりと割れた。その裂け目から小さな肉の玉が無数と生まれ出る光景に、こちらも構える。
「さて、挑ませてもらうか。あやつを倒して……」
 倒して――?
 どうするというのか。
 続く言葉を見つけられず、影二は口を噤んだ。
(ユナを助ける? 期待されてもおらぬというのに?)
 答えの出ない自問はやめ、言い直す。
「とにかく倒す」
 地上では拳崇がすでに地面を蹴っていた。怒りのこもった力強さで、けれど軽快に跳ねながら太歳に打撃を食らわせていく。余計なことをと思いながら影二も翼を大きく羽ばたかせた。周囲で真空の刃が渦巻き、少年を避けるようにして肉塊の表面に突き刺さる。そこへさらに雅典娜のエネルギー弾が炸裂し――
 土埃があたりを覆ったのは、ほんの一瞬にすぎない。焼けた肉の嫌な臭いが鼻腔をついたのも。視界が再び明瞭になったときにはもう、何事もなかったかのようにそこに在る。
 その再生力こそが太歳の持つ能力であると知らないわけではなかったが。
 太歳から生まれた眷属たちが大通りに向かって跳ねていく。そのひとつひとつも潰していかなければならないというのは思いのほか厄介ではあった。
「どないすんのや。じり貧やぞ!」
「言われずとも……霞斬り!」
 言い返しながら攻勢をかける。
 再生を許さぬほどばらばらにするつもりで、さらに真空の刃を打ち込もうとしたところで――
「アホ! あの子ごと消すつもりか!」
 拳崇の怒鳴り声に影二ははたと気付いた。次の瞬間、肉の裂け目から吐き出された空気の弾が翼を撃った。それで打ち抜かれるということもなかったが、衝撃は思いのほか強い。
「ぐっ」
 どうにか悲鳴を呑み込みつつも、数メートルの上空に弾き飛ばされる。入れ代わるようにして雅典娜が特攻していくのが見えた。
「サイコソード!」
 彼女の高エネルギーをまとった拳は分厚い肉の壁に穴を開けたものの、逆に再生に押されてすぐに二の腕半ばまで呑まれた。それに気付いた拳崇が後ろから援護し、どうにか引き抜く。無論のことそれで済むはずもなく、わらわらとよってたかる太歳の眷属たちに歯を立てられて鱗も剥がれ、血を流している。
 拳崇の言うとおりじり貧だった。
 あるいは――
 ちらりと、その誘惑に駆られなかったといえば嘘になる。ユナのことを抜きにして、一気に畳みかけてしまえば勝てるのではないかと。
(だが、万が一にも……)
 太歳だけが再生したら目も当てられない。
 翼に込めかけた力のやり場も分からないまま、影二はぎりぎりと歯噛みした。等しく考えるならば、太歳に呑まれたユナがすでに生きてはいない可能性もある。
 こうして二の足を踏んだところで、意味があるのか確かめる術はない。
(ならば殺すか。いっそ)
 実際、悠長に迷っている暇はなかった。太歳はすでに巨大な口で地面を掘削しはじめている。人の多い場所へ行くつもりだ。引き起こすのは巨大地震か大規模な地盤沈下か。一度目覚めれば大きな禍をもたらすまで再び眠りに就くことはない――昔からそういう災害として扱われてきた。少なくともこの街に住む者の半分は死ぬ。それに比べれば身よりのない小娘ひとり、必要な犠牲ではある。元より山の村で目を付けられ、そこで終わるはずだった命だ。
 ユナ自身も納得していた。
 ――覚悟はしてたことだしね、元々。
 だが。
(半分は意地だということも……)
 分かる。




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