とある烏天狗と凶鳥の邂逅

 上昇する。
 もっと高く。高く。高く。地上が遠くなるにつれ周りで渦巻く風は強さを増したが、彼にとっては些末に過ぎない。あらゆる烏天狗の中でも如月の名を冠する者の翼は強靱だ。嵐でさえものともせず、決して折れることがない。天上天下において、なにより己が強いと信じている限り。
 それは如月の烏天狗にとって、森羅万象から与えられた祝福だった。なにより彼らに適した異能だった。
 始祖より伝わる呪法の才。なるほど、確かに彼らを構成する強さのひとつではあるのだろう。
 肉体の強靱さと優れた膂力。いかにも、世にあやかし多しといえども滅多に劣るものではない。
 けれど、彼らが真に誇るべきはその精神性にこそあった。彼らは己の強さを疑うことがない。たとえ強大な神性を前に敗北を喫したとしても、さらなる強さを得ていずれ勝利するだろうと信じている。

 鳥を追い越し、ぐんぐん高度を上げ、やがて街を一望できる高さで彼は止まった。誰もいない虚空で神経を研ぎ澄まし、待ち望む?それ?の気配を探る――
「なにを待っているんですか?」
 応じたのは、別の気配だった。
「……何用だ」
 振り返りもせず、彼は訊ねた。
「知っているくせに」
 気を悪くしたふうもなく回り込んできたのは、九つの首を持つ凶鳥だった。とはいえそれが毛皮をかぶった仮初めの姿であることを、彼は知っていた。
「……あてな」
 唐風に倣うなら、雅典娜――ということになるだろうか。禍を予知するたび人間に警告を与える彼女とは、実を言えば何度か顔を合わせたことがある。咎める視線に気付いた彼は、ひょいと肩をすくめて言った。
「そう怖い顔をするな。悪いようにはせぬ」
「やっぱり、あなたが関わっていたんですね。あれは、もうすぐそこまで来ていますよ」
「で、あろうな。おぬしが来たということは」
 話の前半には答えずに。頷く仕草とともに告げると、雅典娜はいっそう目をつり上げた。
「人間が大勢死ぬかもしれないのに、それでもあなたはあれと闘いたいんですか?」
「拙者が負けるはずもない。口出しをするならば、まずおぬしから先に相手をしてやってもよいが……」
 こちらも負けじと睨み返すと、彼女はふっと怒気を収めた。元より無益な闘いを好まないあやかしだ。彼は鼻を鳴らすと、くるりと踵を返した。
 酷く、酷く白けてしまったのだ。
 別れの挨拶もせず、下降する。背後からは呼び止める声が聞こえたような気もするが、止まることも振り返ることもせず、地上を目指す。次第にあたりの景色が肌に馴染み、ふたたび日常の一部になる――その感覚は何度繰り返しても好きにはなれない。
 そんなことを考えながら花嫁が住むアパートのベランダに降り立つと、彼はあからさまに顔をしかめた。
 鮮やかな赤い血が一滴、落ちている。
「警告のつもりか。余計なことを」
 口の中で簡単な呪法を唱え、それを消し去ってから。
 部屋の中に入ると、すぐ異変に気付いた。妙に魚臭い――あの女、本当に魚の小童を連れ帰ったな。
 それもやはり口には出さず毒づいて、なんとはなしにテーブルの上を見る。そこには手書きのメモが一枚。
 ――拳崇とあやかし捜しをしてきます。夕飯までには帰るから心配しないでね。
 丁寧な字で、そう書き付けられていた。
「まったく……」
 額を押さえつつ、ベランダへ引き返す。
「なにかあっては困るというに、今は」
 呟いてからいくらか後ろめたいような心地になったのは、お節介な凶鳥と遭遇してしまったせいだ。恐らくは。頭を何度か振って雑念を追い出す。ともかく一刻も早く、ユナと合流しなければならない。




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