03

 ビリーの来訪から一週間。
 あれ以来、彼から連絡はない。必要なやり取りは携帯電話か連絡係を通じて行われるばかりで、ついに出立当日を迎えてしまった。
 大きめのリュックを背負い直しながらユナは酷く落ちつかない心地だった。待ち合わせ場所として、あらかじめ駅を指定されていた。早朝とはいえ人の姿もまばらにある。
「遅いな、ビリーのやつ」
 そう言ったのは隣に立っている影二だ。いつもの青い法衣に、黒い翼を隠してもいない。烏天狗としてあるがままの姿でそこにいるというのに、誰もその異様さを気に留めない――まるで、そういうものであると分かっているかのように。それが烏天狗の法力なのだと彼は言ったが。
「なにかと忙しい人だから」
「確かに月齢も頃合いで忙しかろうが」
「月齢?」
 意味が分からず、ユナは訊き返した。
 影二は答えない。問答は終わりだと言わんばかりに、ふらりと売店の方へ飛んでいく。すれ違う人たちもやはり素知らぬ顔だ。その光景を見ているうちになんとも言えない居心地の悪さを覚えて、ユナは烏天狗の後を追った。
「ねえ、待ってよ。なんで意味深なの」
「それが不文律だからだ」
「なんの?」
「そいつらの、だろ」
 再びの問いかけに対する答えは、背後から聞こえてきた。影二がぴたりと足を止め、振り返る。その視線を追うと、ビリーが立っていた。
「ビリー様!」
「悪い、寝坊した」
 そう言った彼の顔色は酷く悪い。
 朝の陽気の下、血の気の悪さが際立っている。
「どうしたんですか? 風邪でも……」
「ただの二日酔いだ」
 ぴしゃりと遮って、ビリーは踵を返した。
「行くぞ。神の見守る島へ」

 旧若狭国。つまりF県南西部。
 尼僧になって以来、八百比久尼は八百年もの間ずっと諸国を巡礼し続けていた。諸説あるうちのひとつに、そんな彼女が最後に訪れたのが旧若狭国のとある洞窟だと伝えられている。洞窟の場所はいまだ特定されていない。元来若狭湾はリアス式海岸でみさきと入り江が入り組んでいるし、小規模な半島もいくつかある。
 神の見守る島が、その最たる候補だ。人の手が入っていない無人島で、島へ渡るには漁船をチャーターする必要がある。そのあたりの手配は当然ビリーが済ませているだろう。
「しかし、てめえまで付いてくるとはな」
 ビリーが苦りきった声で言った。
 特急車両は一両丸々貸し切っていて、三人の他に乗客の姿はない。車両の中ほど――二人がけの席に影二とユナ、通路を挟んでビリーが座っている形だ。
「仮とはいえ妻が行く場所。同行せぬ理由がない」
「んなこと言って、その馬鹿みたいにでかい翼で狭い洞窟探索なんてできるのか? 足手まといは御免だぞ」
「そういう貴様こそ、随分な有様だな?」
 駅のホームで見たときよりは多少落ち着いてきたものの、ビリーの顔色は依然としてよくはない。
「余計な世話だ。てめえらに迷惑はかけねえよ」
「だといいが……」
 それぞれそっぽを向いて会話が途切れる。こっそり嘆息しつつ、ユナはちらりと窓の外へ視線を投じた。車内の気まずさとは裏腹に、天気はいい。雲ひとつない快晴だった。




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