07

「影二、今何歳?」
 拒絶の代わりに、ユナは訊ねた。影二の動きが止まる。
「二十一だが」
「そっか。じゃ、あと七年だ」
 なんの話だと言いたげな彼に、告げた。
「夢じゃないなら七年後に会えるから。そしたら、いっぱいハグして。キスも。その方がさ、お互い後ろめたくないよ」
「ならば」
 ユナの胸元からネクタイをほどいて、影二は言った。
「預かっておく。忘れるなよ、ユナ・ナンシィ・オーエン」
 耳元で、言葉ははっきりと聞こえた。はずだ。吐息のあたたかさも覚えている。けれど霧が。濃い霧が、あっという間にすべてを覆った。目の前にいた彼の姿ももう見えない。なにも聞こえない。影二と小声で呼びかけるおのれの声すら、唇からこぼれた瞬間に霧散して――
 気づけば街灯の下、ひとり佇んでいる。
 鬱蒼とした森に代わってコンクリ造りの塀に囲まれた路上で、ユナは何度か瞬きをした。立ったまま眠っていたのだろうかと首を傾げつつ、胸元に触れたのは無意識だったが。
「……ない?」
 部屋を飛び出してきたときは確かに結んでいたはずのネクタイが、消えている。なにが起きたのかとぼんやり考えていると、ふたたび声が聞こえてきた。
「ユナ。ユナ・ナンシィ・オーエン」
 フルネームで呼ばれることに反射的に身を固くするよりも、嬉しさの方が勝るようになったのはいつからだったか。それを知れば上司はまた嫌な顔をするに違いないが、ユナはぱっと振り返った。
「影二……迎えに来てくれたんだ――」
 ごめんね。
 続く言葉は、声にならなかった。強く押しつけられた唇に吸い込まれて、彼の咥内に消えた。どしたの、急に。たじろぎながら、視線だけで影二を見上げる。
 苛立つ瞳とかち合った。
「勝手な約束をしたな」
「え?」
「不意に思い出した。いや、生じたと言った方が正しいか。過去の拙者を誑かしおって、その上未来にまで……四人……」
「未来? 四人?」
 訊き返すと、彼は気まずそうに目を逸らした。その顔を見つめながら、ユナは少しだけ口元を緩めた――ああ、きっと影二も同じ邂逅をしたんだね。あの濃い霧の中、一瞬の夢にも似たなにかに。
 胸の内で呟いて、彼の手を取る。
「ねえ、影二。帰ろっか」
「ああ」
「帰ったら、いっぱいハグして。キスも」
「してやるとも。お前が高い相談料だったと泣くほどに」
 言って、影二は珍しく指先を絡めると自棄気味に笑った。



END




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