06

「そっか。出会う前の影二ならそう言うよね」
 自分でもおかしいと思いながら、安堵の息をひとつ。
「そんなふうに言ってた影二が選んでくれたっていうならさ、もっと自信持って……仲直りもしないとダメか。うん。帰るよ」
 来た道を戻っていけば自然と目が覚めるのだろうか。どうだろう。いくらかは疑うような心地で踵を返そうとして――
「待て」
 ぐいと腕を引かれた。驚くほど強い力で。
 引き留められるとは思っていなかったため、ユナは少しだけ驚いた。肩越しに振り返ると吐息がかかるほど近くに影二の顔があった。
(あれ……?)
 なんとなく違和感を覚えて、まじまじ見つめる。暗闇の中、目の錯覚かとも思ったが――目の前の彼は、少し若いような気がした。
「影二……?」
「まるで、本当に拙者を知っているような口ぶりだな?」
 問い詰める口調で、影二。ユナは笑った。
「知ってるよ。なにもかもとは言わないけど」
「どこぞの諜報員か」
「そういうんじゃなくてさ」
 ――いや、似たようなものではあるけど。
 喉のところまで出かかった言葉は飲み込んだ。
「大好きなんだよ」
 代わりに素直な気持ちを告げる。
 彼はたじろいだようだった。
「こんな夢見るのってさ、きっと喧嘩したからなんだろね」
「なに?」
「出会う前の影二なら、わたしとほとんど年頃の変わらない影二なら、こうして明け透けに話せるんだろうって。現実でちゃんと向き合わなきゃいけないのに」
 見つめると、影二は一度だけ瞬きをした。
「言いたいことも言わせぬ男など、捨ててしまえ」
「本人に言われるの、なんか変な気分」
「一緒にするな。拙者は、これと決めた女を軽んじはせぬ」
「軽んじられてるわけではないんだけどね」
 わたしが勝手に怖がってるだけなんだよと囁いた。なんの話だと訊き返してくる、出会う前の彼に答える。
「喧嘩した次の瞬間には、後悔するんだよ。影二に嫌われたらどうしよって。そういうこと考えたら、原因とかどっちが悪いとかそういうのどうでもよくなって、ごめんねって。それだけになっちゃう」
「健全な関係ではないな」
「そうかな」
「けれど、あるいは。お前の言う影二がまさしく拙者ならば。お前が言うように、拙者が別のおのれを知る女の夢を見ているのだとするならば」
 ――お前の知る拙者も等しく恐れているに違いないのだ。
 秘密を打ち明けるように影二が言った。
「怖い? そういうこと言うの、影二らしくないね?」
 彼の顔を見つめながらほんの少し驚いて――果たしてこれは本当に自分の夢だろうかと、頭の隅をはじめて疑念が掠めていったが。
 影二が鼻で笑う。
「敵の弱みを暴くことが、か?」
「自分の弱みを言うことが、だよ。ていうか、敵?」
「拙者でありながら拙者にないものを持つとは、なんとも腹立たしいではないか。相手がおのれであれ、拙者はなにひとつ譲らぬ。それは無論、お前の知る拙者とて同じこと」
 たった一言で、すとんと腑に落ちた。
「そだね。うん、影二はそう。そういうところも好き」
 もう一度、好きなんだよと繰り返す。
 告白に、影二は照れてみせるでもない。やはり彼らしく鼻で笑って、それでもいくらかまなざしを和らげた。
「自信なげな顔が、多少は拙者好みになったな。もっとも、お前の知る影二が拙者ならば間男が余計なことをと腹を立てるだろうが。そしてこうも訊く」
 ――よもや高い相談料を支払わされたのではあるまいな?
 顔をずいと寄せ、指先で唇に触れてくる。ユナは慌てた。
「お、女は作らないって」
「確かに言った。しかし、そんな拙者が……どこかの拙者が手を出した。妬ましくなるほどおのれを愛している、おのれの選んだ女だ。そんな女がいると知ってなお素知らぬ顔はできまい」
 熱っぽい眼差しに、どきりとする。
 ――こんなふうに、影二に迫られたことってあったっけ?
 忙しなく跳ねる鼓動の音は、目の前の彼にも聞こえているのかもしれない。覆面越しでも、唇にうっすら刻まれた笑みが見える。やがて彼はゆるゆるとそれをずらして――だめ。




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