「ああ、逆ってそういう……」

 八雲は呆然と呟いた。ずっと勘違いしていた。

「ええ。湯温管理のシステム化というのは、自由自在に湯の温度を変えられるもの……というわけではないんですよ。そういう意味では、バルブ調整の方がずっと自在だ」

 時雨がそれを肯定する。ならば、だとしたら……

「神様なんて、いないんじゃん」

 憮然と呟く八雲に時雨は一度だけ目を丸くして、それから愉快そうに声を上げて笑った。

「では、君は神の正体をなんと見ますか?」
「自分を神様の代理人だって勘違いした頭のおかしな人間――って言うと、風情もなんにもないかな」

 だが、事件の真相を鑑みれば他に言いようもない。

「犯人は、このバルブで『神様の怒り』を演出したんだね。若旦那さんは犯人に呼び出されたのか……ううん、熱心に経営を立て直そうとしていたみたいだから、もしかしたら温泉の状態を確かめたりしていたのかもしれないけど」

 その熱心さが彼を死に導いたのだとすれば不幸でしかない。
 話しながら数歩うろついてあたりを探る。高温の水を扱う機械室だったら、バルブの他にもうひとつなければならないものがある。それを探して――

「どちらにせよ、犯人は若旦那さんが温泉に入った頃合いを見計らってこのバルブを閉めたんだと思う。そうすると源泉が全開になるよね。九十度の熱湯に晒されたら、人間なんてあっという間に意識を失っちゃう……」

 そのまま茹でられた姿があの死体かと考えると、背筋が寒くなった。機械室の空気は息苦しいほど熱を含んでいるというのに、指先は酷く冷たい――震えるそれを手の中に握り込むと、八雲は続けた。なんでもない顔で。

「そのあとすぐにバルブを開けて一気に温度を下げたんじゃないかな。そのままいつもどおり客が来なかったら、お湯の温度が落ち着いて痕跡は残らなかったんだと思う」
「しかし、今日に限って君がいた。蛇尾君」
「うん。それに、時雨さんと千晴くんもね」

 むしろ犯人にとっては、彼らの来訪が最大の誤算だっただろう。彼らが未成年に探偵ごっこをさせることも。

「業腹でしょう。犯人にしてみれば」

 時雨が呟く。その声に――

「業腹なのは、そのことではありませんよ」

 答えたのは八雲ではない。
 いつの間にか周囲は静かになっていた。あれほど喧しく聞こえていた水音が、今はまったく聞こえない――代わりに。
背後からの声に八雲はハッと振り返った。外界とは隔絶された闇の中、入り組んだパイプの影から出てくる人の姿がある。彼は酷く芝居がかった調子で両手を打ち鳴らすと、ふたたび口を開いた。

「お客様、困ります。このようなところに立ち入られては」
「支配人さん……」

 ロビーで出会った老人だった。こちらを見る瞳には、この部屋を満たす熱気と同じ種類の濁った熱が宿っている。その手に配管用のレンチが握られていることに気づいて、八雲は息を呑んだ。

「おや、主役のご登場のようだ」

 一方の時雨は冷静だった。
 狂気を手にした老人の登場に警戒するでもない。むしろその視線は分かりやすい興味を伴って、八雲に注がれている。
(試されてるんだ……)
 八雲は苦笑した。いや、苦笑に見えればいいなと思った。怯えを気取られないよう顎を引いて胸を張る。
 時雨は傍観者だ。八雲に対して山吹以上に助言することはあるものの、一歩踏み込んで助けることはしない。八雲にその価値があるのか、いまだに計りかねているようだとも感じる――それとも、もっと別の意図があるのか。

「犯人は誰だなんて話をここですることに意味はないし、警察の捜査で分かることだとも思うけど……探偵ごっこの醍醐味として言わせてね」

 声は震えなかっただろうか。自信はない。
 それでも、やらなければならない。憧れるだけの子供で終わらないために。彼らの傍にいるために。
 いつもどおり可愛げのない子供に見えるよう祈りながら、八雲は男に人差し指を突きつけた。







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