「あの……」

 八雲がなにか言いたげに口を開き、沈思するように一度目を閉じる。警戒心の強い瞳が隠れてしまうと、その顔は思いのほか歳相応で可愛らしくもある。なだらかなひとえ瞼からスッと通った鼻梁を下りて、造り物のような小さな鼻、控えめなつぼみのような唇を視線でなぞり終えた頃。

「刑事さんは――」

 コン、コン。
 八雲がふたたび言葉を発したのと、ドアのノックは同時だった。それで室内を満たしていた緊張感が霧散した。
 ――なんだよ。
 寸でのところで舌打ちを引っ込めたのは、ドアを叩いた相手に気づいたからだ。相棒の取調べが終わったらしい。

「千晴君」

 心なしか機嫌の良さそうな雰囲気で、時雨。
 なにをしたのかは敢えて訊かなかった。今更説明されるまでもなく、相棒のやり方は心得ている。

「あいつらは?」

 訊ねる山吹に、時雨は表情を変えずに答えた。

「素直に降参しましたよ。未成年者略取誘拐に、未遂とはいえ監禁罪、暴行罪、共同正犯、おまけに公務執行妨害未遂。調べたところ、彼らに前科はなさそうですが……」
「それでも執行猶予なし実刑判決コースだな」
「ええ。すぐに送検の準備をしなければいけませんねぇ」

 ――君も書類を作るんですよ、千晴君。
 さらりと釘を刺されて、山吹は顔を顰めた。

「事件の関係書類だけで丸一日潰れそうだな」

 げんなりと額を押さえながら、八雲を見る。時雨の前で緊張気味に表情を隠した彼女は、けれどどこか不安がっているようにも見えた。だからというわけでもないが――

「あー。さっきのやつらは、これから書類送検する。で、そこから検察のやつらが拘留請求を出すわけだ。だから、あいつらが釈放されてオマエを襲うことはない」

 言葉を選びながら説明する。
 そんな山吹の語尾を引き継いで、時雨が否定した。

「しかし、彼らには仲間がいる」
「おい、時雨ー。オレがせっかく空気を読んだってのに」
「現状は、正しく伝えるべきですよ。千晴君」

 とはいえ相棒の表情から察するに、親切心からそうしたわけではなく単純に趣味の延長だろう。取調べでの高揚がまだ尾を引いているのかもしれない。

「仲間……」

 時雨の言葉に、八雲は今度こそ難しい顔になった。

「それって、白崎からのDMと関係あるんでしょ?」

 時雨が無言で顎を引く。余計なことを言わなかったのは少女に情報を渡さないためだろう――その程度には、この相棒も彼女の抜け目のなさを認めているということだ。

「白崎がなにに関わってたのかって、教えてもらえる?」
「残念ですが、それはお教えできません」

 時雨はかぶりを振って答えた。

「まだ捜査中ですし、守秘義務というものもありまして」
「関係者だからってヘタに口出しすんじゃねぇってルールなんだよ。オマエにとっては理不尽だろうが」

 そう補足すると、時雨が意外そうな視線を向けてくる。

「……なんだよ」
「いえ。今回は随分と親切だなと思っただけですよ」
「オレはいつだって正義の味方で親切だろ」

 抗議に対して返事はなかった。
 無視しやがってと思わないではなかったが、おそらくはそれも言ったところで無駄だろう。会話が途切れた空白に八雲がおずおずと口を挟んでくる――

「もうひとつ、質問していいかな」

 胸の前で小さく手を挙げた八雲に、時雨も軽く頷いた。

「我々に答えられることなら、お答えしますよ」
「わたし、このあとどうなるの?」
「どう、というと?」
「いや、帰宅のこととか。あと、保護者への連絡とか……さっきの誘拐犯に仲間がいるんだったら危ないんだよね? 今のわたしの立場って。叔父さん、狙われたりしない?」

 矢継ぎ早でまくし立てられて、時雨は面食らったようだ。
 ――叔父さん?
 と、説明を求める顔で振り返ってくる。
 山吹は肩を竦めながら答えた。

「こいつ、両親がいねーんだと。親戚が親代わりで」
「なるほど」

 と頷きつつ、時雨は眉をひそめている。

「いや、保護者よりも君の方が危険なんですがね」
「そりゃそうだろうけど。でも」

 ――わたしのは自業自得だから。
 小声で付け加え、八雲は下を向いた。
 時雨とふたり、山吹は顔を見合わせる。日頃は知能犯を追い詰めることにばかり意識が向かいがちだが、まったく良心がないわけでもないのだ――互いに。多分。

「君に関しては、本日中は保護扱いとなります」

 こほんとひとつ咳払いし、時雨がそう切り出した。

「つまり、今日は警視庁で泊まり。明日以降は、オマエの保護者と話し合った上で判断する。勿論、保護者の家にも見張りは付ける……そういうことだな」

 山吹が引き継ぐ。
 それを聞いた八雲は眉尻を下げて、呟いた。

「そっか、よかった」

 そのまま泣き出してしまうかと思ったが、彼女はぐっと顔を上げて唇を引き結んだ。何度かまばたきを繰り返せば歳相応に潤んだ瞳は爬虫類の冷たさを取り戻す。
 痛々しいほどの強がりだ。
 山吹の隣では、時雨も呆れている様子だった。

「では、先に保護者に連絡をしましょう。でないと、君も落ち着かないでしょう?」

 苦笑交じりでそう言って、踵を返していく。

「上に許可を取ってきます。千晴君、頼みましたよ」
「りょーかい、相棒」

 ひらひらと手を振りながら、時雨の背中を見送る。その姿がドアの向こうに消えると、向かいに座っていた八雲がそっと息を吐くのが聞こえてきた。

「たくさん迷惑かけて、ごめんなさい」
「迷惑かけてんのは悪党どもだ。オマエじゃねーだろ」

 聞き飽きた謝罪を突っぱねて、山吹は少女の頭に右手を載せた。悪党を殴ることにばかり慣れた拳ではあるが――

(それでもま、ガキをあやすくらいはわけねぇよ)

 ぽんぽんと軽く叩いてやる。

「…………」

 八雲はなにも言わない。ただ少し驚いたように目を丸くして、しばらくの間されるがままになっていた。




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