歪な毛糸玉

 秋もすっかり過ぎ去った十一月の中頃。幼稚園の衣替えもとうに済んで、園庭では餌を探す雀さえもすっかり冬の装いだ。如月影二は外の様子をなんとはなしに眺めながら、ユナを待っていた。女といういきものはなんでこんなにも支度が遅いのだろうなと、口の中で知ったふうに呟きつつ。満更でもないのは、その理由を知っているからだった。
「えいじくん、またせてごめんね」
 声に振り向くと、ユナ――ユナ・ナンシィ・オーエンが申し訳なさそうな顔で鞄を抱えている。半年前は赤ちゃん組とほとんど見分けのつかなかった彼女も、如月流の嫁にと約束を交わしてからは随分女らしくなった。
 周りの大人たちに言えば苦笑いされそうなことを思いながら、ユナの頭のてっぺんから爪先までしげしげ眺める。実に完璧だ。癖の強い髪を手ぐしで丁寧に整え、幼稚園の制服には皺のひとつもない。そのこころを訊けば「えいじくんのお嫁さんになるんだから、しっかりしないとね」と胸を張ってみせるのだから、なんとも健気ではないか。
(さすがオレの見込んだ女だ)
 ゆるみそうになる唇を強引に引き結んで、手を突き出す。よい女が男に恥をかかせまいと身だしなみに気を遣うのならば、よい男は遅かったなどと責めないものだ――と、やはり知ったふうなことを口には出さず、ユナの手が重なるのを待った。鍛錬を知らない、子供の手だ。その柔らかさと体温の高さを感じるたび、どうしてか少し安堵して、自分が守ってやらねばと感じるのだった。
「行くぞ。今日はふたりだけだ」
 養父は任務で家を空けている。代わりに送り迎えをすると言った邸の者に、見えない場所からついてくるのならばよいと告げた。口さがない者からはまた難しい子供だと言われることは分かっていたものの、男としての意地もあった。
「だいじょうぶかな」
「しんぱいなど不要だ。オレがいる」
「でも、どきどきしちゃうから」
 空いた方の手で胸のあたりをおさえて少しはにかむユナに、なんとなくつられてこちらまで鼓動が早くなるようだった。ユナ、と名前を呟いて彼女の顔を見つめる。見つめ返してくる瞳は蒼穹のように鮮やかで吸い込まれそうだ。
 そのままどちらともなく顔を近付けたところで、
「ままごとは終わりだ。早く帰れ」
 二人揃って、担任の八神庵に追い出される。
「この……! くうきの読めぬ赤毛め!」
 罵ったところで教室のドアはぴしゃりと閉められてしまったのだが。
 ついと腕を引いてくる気配で、影二は我に返った。見ればユナがごそごそ鞄の中を探っている。怒りも忘れてどうしたのかと覗き込むと、彼女はやがて赤い毛糸の塊を取り出した。
「な……?」
 なんだそれは。
 訊こうとして寸前のところで呑み込んだのは、どうやらマフラーらしいと分かったからだ。子供のものにしては随分と長い。長すぎる。大人の首に巻いたとしても、少し余るかもしれない。
 なんとも言えずにユナの手元を凝視する。視線に気付いたらしい彼女は得意げに、ふんすと鼻を鳴らした。
「あのね、ユナが作ったの」
「おまえが?」
「みんなにまふらーをプレゼントしてくれるって、ギースさまが言ったんだけどね。わたし、けいとをおねがいしたの。おこづかいためて、あみきのおもちゃを買ったから」
 だからなんだとは言わずに辛抱強く結論を待つ。回りくどい言い方をするのはユナのくせで、その甘えの残った舌足らずな声が影二は好きだった。
「だって、えいじくんもさむいでしょ?」
 つまりは、そういうことだった。
「ビリーくんがね、よぶんに作っておいてながさをたしかめてからほどけばいいって言うから。きょうは、おためしね?」
 長すぎる赤のマフラーを嬉しそうに抱きしめているユナを見ていたら、なんだがそわそわしてしまったのだ。そんな顔で他の男に相談などするなと言いたかった。万が一にも横やりを入れられたらどうする、と。けれど、それを言葉にしてしまうのは恰好が付かないような気もした。
 考えた末、代わりに一言。
「いや、それにはおよばぬ」
「え、つくったのかっこわるいかな。やっぱ」
 ほんの少し傷付いた顔をしたユナにもう一度だけいいやと言って、その首にマフラーの端をかけてやる。もう片方の端を自分の首に巻き付けると、ちょうど手を繋いだいつもの距離だ。
「そのようすでは、どうせオレの分しかつくれなかったのだろう?」
 ああ、図星だ。かわいいやつ。
 口ごもる幼い恋人の頬に今度こそちゅっと唇を押しつけて、手のひらに少し力を込める。遅れてマフラーと同じ色に染まっていくユナの顔を眺めながら、影二は上機嫌に笑った。




TOP