誰がタルトを盗んだか

 首を刎ねろとお前が言う。
 ああ、うまくやるさと俺が答える。
 ハートの国の哀れな女王。俺だけの女王陛下。
 白い薔薇を赤く染め、息が詰まるほどの戒めに縛られた俺たちの城には、もう誰も居付きゃしない。むせ返るほどの薔薇の匂いだけが満ちた、がらんとした部屋の中。最初からなんの意味も持たない玉座で最初から所在なげにしていたお前の膝に、俺はそっと乗り上げて笑う――俺の女王。お前を愛しているのは俺だけだ。
「そうだな。そうだ。いつだってそうだった。照英、お前だけが」
「ああ、俺だけが」
「わたしは悪しき女王だったか」
「いいや。お前以外のなにもかもが悪かった」
 俺も含めて、なにもかも。
 泣き方さえ知らない険しい目元に唇を寄せる。触れることを許してくださいますか、女王陛下――揶揄を含めて訊ねれば、彼女は、夜霧はますます苦しそうな顔をした。怒る以外に知らない顔で、必死に泣こうとしているようにも見えた。
「お前の好きなように。わたしは……」
 ――お前にだけは、すべてを許しているんだ。知っているだろう、照英。
 傍若無人の女王がなんてざまだ。たかが 近衛兵長 ハートのジャック を、まるでただ一人の王みてえに仰いでされるがまま。頭の上に載せた王冠をいとも容易くおろさせて、後ろで詰めた髪をほどかれても抗議ひとつしねえ。
 ―俺の首、刎ねなくていいのかよ。
 形のいい耳元で囁いた、その瞬間だけほんの少し目をつり上げてお前は悲痛に呻く。
「分かっているくせに……」
「ああ」
 悪かった。悪かった。首筋にぱさりと広がった、その美しい赤褐色の髪をひと房。掬い取って口元に寄せた。薔薇の香りが満ちた部屋の中、彼女の匂いに救いを求めて深く息を吸い込む。ぱちんとドレスの留め具を外し、露になった白い胸元へ唇を寄せた。
「なんだって、俺が赤く染めてきてやったろ」
「ん」
「花も、首も、お前だって――」
 ちゅ、ちゅ、ちゅ。
 静寂に響くリップ音は肯定の代わりだった。しょうえい、しょうえい、やめないで。もっとわたしをもとめて。悪夢を見た幼子のように繰り返す夜霧にただ一言、
「お前の心のままに。俺は……」
 言いかけて、さっきの彼女の台詞を綺麗になぞっていることに気付いてしまった。苦笑をひとつ。それからかぶりを振って、重たい赤のドレスをずるりと床へ落とす。王冠とドレスを剥がれてしまえば、夜霧こそ憎むべき白だった。
 胸元にだけ花を咲かせた真っ白な肢体に、ごくりと唾を呑み込む――何度見ても、その白さにだけは慣れないのだ。無力な、震える女の体に手を這わせた。
照英 ジャック
「王様と呼べよ。女王を抱くのがジャックじゃ、恰好つかねえだろ」
「照英、わたしの王様……」
 ああ、そうだ。ここは俺の城だ。
 お前だけを残した俺の城。
 男に体を暴かれる快楽を知った、猥らなそこを唇で吸いあげる。悦びに溢れる蜜はいつの日かに盗んだ彼女のタルトよりもずっと、ずっと甘い。
 ――お前にももっと美味いもん、やるよ。
 舌で花芯を撫でながら吐息とともに吐き出した。
「なあ、夜霧」
 永遠の箱庭で二人きり。時間はいくらだってあるんだ。


 ハートの女王がタルトを作った
 ある夏の日に、一日かけて。
 ハートのジャックがタルトを盗った。
 そっくり、みんな持ち去った。
 女王陛下もなにもかも、すべては彼の腹の中。






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