吐息を呑む

 放課後の教室だった。随分、騒がしいと思ったのだ。
「あれ、誰のツレだよ」
「誰か声掛けて来い」
 窓の近くで囁き合う級友たちのことが気になった、というわけでもないが。その声につられるようにして外を見た。
 瞬間、彼女と目が合った。気のせいではなく。
「お、こっち見た」
「手振ってみるか」
 そんなことを言っている級友たちの頭を後ろから順に殴りつけ、振り返る彼らに一言。俺の女だ、馬鹿。
「うっそだろ、馬狼」
「嘘吐いてどーすんだ、死ね」
 苛立ちごと吐き捨て、鞄を掴んで教室から飛び出す。
 階段を一気に駆け下りた。下駄箱にスリッパを突っ込んで、靴を履くのももどかしい。けれど踵を踏みつけて走り出すこともできず、結局はいつもどおり――傍から見れば随分な余裕に見えたに違いなかった。
 そっと呼吸を整え、その後姿に声をかける。
「夜霧」
「照英、おかえり」
 ひとつ年上の従姉が見上げてくる。小学校も高学年に差し掛かる頃にはもう、背を追い抜いていた。背ばかりでなく、どれだけ鍛えても同じようには筋肉の付かなかった夜霧の華奢な体を――頭のてっぺんから爪先まで眺める。
 不躾にならない程度に留めたつもりだったが、元より鋭い彼女だ。視線に気づくと少し寂しそうに目元を微笑ませた。
(……また傷付けたな)
 慣れた後悔が半分。苛立ちも半分。
「なんで来たんだよ」
「なんでって」
 ――お前を迎えにくるのは、わたしの役目だろう。
 幼い頃からの習慣を今も生真面目に守り続ける、そんな従姉の手を掴んだ。ぞっとするほどか細い白の手は、今は冬の空気にさらされて氷のように冷え切っている。
「手袋は」
「忘れた」
「急いだんだろ、どうせ」
 図星だったらしい。下がりがちの眉がいっそう困ったように下がる、その顔を見つめて――舌打ちは飲み込んだ。
「今度は俺が迎えに行く。大学まで。嫌とか言うなよ」
 なにか言おうとした夜霧の唇へと噛みつく。背後から聞こえてきた罵倒に気を良くして喉を鳴らせば、彼女は困ったように――でなければ愛おしむように指先で唇を撫で、少し俯いた。







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