12

 狭い部屋に揃った顔ぶれは、客観的に言ってしまえば大したことはなかった。ギースの秘書もいなければ、ビリー・カーンのような幹部もいない。名前も呼ばれず死んでいくようなチンピラよりは多少マシだが、それ以上にはなれない。その程度の犯罪者でしかない。
(わたしも含めて、ね)
 ユナ・ナンシィ・オーエンは部屋の隅で腕組みしたまま、独りごちた。
 集まったのは十余名。いずれも日本での活動を見据えて送り込まれた構成員で、直属の上司が異なるためにユナとは親しいわけでもない。それぞれかしこまるでもなく好きな場所に陣取って、建前上まとめ役となる男の話を聞いていた。
 以前から深刻だった地元の反社会的勢力との関係は悪化の一途をたどって、もう話合いでは済みそうにない。数日前、下っ端同士の小競り合いで相手方に死者が出た。報復は当然あるだろう――得体の知れない国外の犯罪組織には勝てそうにないと、彼らが薄々気付き始めていたとしても。
 サウスタウンの幹部に連絡したところ、小さな島国のローカルマフィアなどそちらでどうにでもしろと返事が来た。末端の何人かが死んだとして、むしろ金で解決するよりは安上がりだ。相手方にしても同じことで、折り合いをつけるにも降伏を選ぶにもなにかしらの抵抗をしたという実績がいる。それが組織の在り方というものだ。誰も異論は挟まない。
 決行は夜。
 それぞれの持ち場と役割を割り振って、時間まで待機するように――と、そんな一言で締めくくられた。話が途切れるのを待って、横にいた女が拳銃を差し出してくる。
「持ってなかったでしょ」
「ああ、まあ。ありがと」
 互いに顔と所属だけは知っている、というような間柄だ。なんとなく躊躇いながら拳銃を受け取り、ちらりと顔を見る。目が合うと、女は肩をすくめてみせた。
「撃ち方は覚えている?」
「もちろん」
「それならよかった。ビリー・カーンに甘やかされて、すっかり忘れてしまったかと」
 無遠慮な皮肉だが言い返しはしなかった。曖昧な苦笑で返して受け取る。鉄の重さは女が言うほど容易く忘れられるようなものでもなく、手に馴染むのは早かった。待機場所で時間が来るまでに整備をしておけばいいだろう。そうと決めて、持ってきていた鞄の中に突っ込む。
 女はこちらの動作を視線で追ったが、なにも言っては来なかった。
 代わりに、
「じゃ、また」
 なんの気もなしに言って踵を返そうとしたユナの背中に、一言。
「また? 次があるとは限らないのに?」
 呆れたような声色だった。
「……グッドラックとそう変わりはしないデショ。あんまり悲観しない方がいいよ」
 完全に無意識だったと言うわけにもいかず、ユナは軽い口調で言い返した。まだなにか言いたげな気配を背後に感じて、さっさと歩き出す。

 陽がすっかり沈み夜の気配が濃くなった頃。ユナはボロアパートの一室にいた。窓からは、襲撃先の事務所が見える。
 部屋には今回の件にまったく関係のない誰かが住んでいたようだが、金を握らせるか脅すかしたのだろう。ハウスクリーニングどころか荷物の持ち出しも済んでいない状況で、シンクには汚れた食器が積まれていた。
「夏じゃなくてよかった」
 呟きながら、分解した拳銃を組み立てていく。機構上の問題はない。仕掛けもない。ならば、あとは弾を込めて撃つだけだ。慣れている。冷静にそう思う一方で、そんな自分を嫌悪しないではなかった。組み立て終わった拳銃をじっと見つめ、自問する。
 ――いつまで続くのかな。
 答えはすぐに返ってきた。きっと死ぬまで、変わらない。変われない。他の生き方は知らないと言い訳をして、ここまで来てしまったのだから。
 諦めにも似た想いを溜息とともに吐き出すと、ユナは視線を上げた。
 賑やかな住宅街から離れて、街灯も少ない。ただそれでも、長いこと暗がりを見つめていれば多少目は慣れた。物陰に、襲撃のタイミングを計る仲間の姿を見て取れる程度には。
 手首に巻いた腕時計を一瞥し、口の中で数を数える。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一――タイミングがずれることはない。想定通り聞こえてきた発砲音を合図に、俄にあたりが騒がしくなる。
 仕掛けられた事務所側からも、ばたばたと人が出てきて応戦を始める。その様子を横目に、ユナは双眼鏡を覗き込んだ。騒ぎに乗じて数人、別方向へ駆けだして行く。ボスを逃がすつもりだろう。
 ユナは腰を上げると、無線機に向かって告げた。
「ターゲットは十時の方角。護衛は四人」
「了解」
 通信が切れるのを待たずに、夜の闇に踏み出す。警察が駆けつけるまでもうしばらくかかるだろうが、早く片を付けるに越したことはない。先行していく仲間の影を追っていくと、すぐターゲットに追いついた――白髪の老人が、四人の男に護衛されている。
「オヤジさん、こちらへ」
 ひときわ体格のいい男が壁になる形で老人を車に押し込めようとしたが、それより早くタイヤを撃ち抜いて阻止する。もっとも、彼らにしても想定の範囲内ではあったのだろう。
 特に慌てた様子もなく、あっさり車を捨てて脇の小道へ入っていく。
「追えっ!」
 その一言を合図に、大柄な男の体が崩れ落ちた。誰かが額を撃ち抜いたようだ。特に憐憫もなく死体の横を通り過ぎて老人たちを追跡する。小道は狭く狙撃には向かないが、暗がりの中でせっつかれるような視線を感じてユナは拳銃を構えた。過去に同様のシーンはどれほどあっただろうか。経験のうちに間隔と角度を探り、足止めのための一撃を放つ。闇に鮮やかな緋色が散った――などということはもちろん、あるはずがない。実際のところはもっと地味で、手応えと相手の呻き声から成果があったことを確信する。
 残っていた護衛三人のうち二人がその場でくるりと向き直って、大きく腕を振りかぶった。次の瞬間、隣を走っていた仲間の一人が悲鳴とともに後ろへ吹き飛んでいく。思わず視線で追うと、額には投擲用のナイフが深々と突き立っていた。あれでは助からない。
 首のあたりを冷たい手で撫でられるような死の気配に、ユナはひゅっと息を呑んだ。背後からは舌打ちが――別の仲間のものだろう――聞こえてくる。
「逃げられるわけにはいかない」
「分かってる! わたしがやるから、先行って!」
 言い返したのは、ほとんど反射的だった。撃鉄を起こし引き金を絞る。今度は肩を撃ち抜いたようだ。相手もそれで怯むということはなかったが、腕が潰れればさすがに次のアクションまでは間が空く。その隙を縫うようにして仲間が老人を追っていくのを見送る。
 その場に残ったのは手負い一人と、もう一人は――かなり若い。ユナと同じか、もしかしたら一つか二つ年下かもしれない。不安げな瞳を一度だけ後方に向けたが、怪我した仲間を置き去りにはできなかったのだろう。ユナに向き直ってぎこちなくナイフを構えた。フェイントもなにもない真っ直ぐな突進だが踏み込みは早い。ついでにもう一人も動かない腕を抱えたまま、挟撃するように回り込んできている。ユナは腰に差していた特殊警棒を引き抜いてナイフの切っ先をどうにか受け流すと、反動でつんのめった青年の膝裏を思い切り蹴飛ばした。勢いよく転がっていく彼には目も暮れず、迫ってきていた残る一人に不安定な体勢から発砲する。一発は外れたが、もう一発は胸のあたりを貫通していった。そのことに安堵する暇はなかったが。
「うっぷ」
 脳みそが揺れるような衝撃に、吐き気が込み上げる。側面から思い切り体当たりされたのだと気付いたときには、地面を転がっていた。道の端に置かれていたポリバケツを思い切りはね飛ばして、がれきの中に埋もれる。相手も必死なのだろう。拳に体重は乗っていなかったが、やたらめったらに打ってくるせいで体勢を立て直すこともままならない。
(まあ、隙があったとしてもどうにもなりそうにないけど)
 体を打ち付けた拍子に、どこか折れたのかもしれない。ぼんやりと目だけを開いて殴られるまま、横に転がることさえできないというのは――それでもすぐに動きそうな箇所を探ると、とりあえずひとつだけ見つかった。
「あのさ」
 こんなときでさえ口だけは無事だ。なんとなくおかしくなってしまって、ユナは笑った。肺が引きつるような痛みで、それはすぐ呻き声に変わった。
「落ち着こ。殴られるの痛いし、殴るのも痛いだろうし」
 それで痛みを思い出したというわけでもないのだろうが、相手も恐慌状態からは抜けたようだ。見れば――というか必然的に、この場には彼と自分しか息のある者はいないのだが――例の青年だ。命のやり取りをしたことは、まだないのかもしれない。荒い息を繰り返す彼を見つめたまま、ユナは告げた。
「こういうときはさ、もっと先のこと考えなきゃだよ。死ぬことが分かってるよな相手にパニック起こして拳を駄目にするって、結局のとこ相打ちみたいなもんじゃん?」
 青年は神妙な顔で聞いている。あるいは戸惑っているだけかもしれない。どちらにしても、ユナにできるのは喋り続けることだけだった。焦る気持ちを抑えるように、続ける。
「わたしにしたって、そう。死ぬことは分かってる」
「随分、あっさりしてんだな」
「じゃあ聞くけどさ、ここから大逆転ってできると思う?」
「いや」
「でしょ。だったらどうするかって、お互いにとって一番いいようにするんだよ。つまり、わたしは抵抗しないから、キミはわたしの首を絞めるかナイフでひと突きするかで済ませてってこと……ね」
 相手が疑問を抱く前に、一息でまくし立てる。さすがに語尾は苦痛で震えたが、それがかえって話に信憑性を持たせたようだ。混乱した瞳の中にわずかな憐憫が覗いていることに気付いて、ユナはそっと安堵の息を吐いた。
「そういうわけで、よろしく」
「あ、ああ……」
 青年の指先が動揺でぴくりと震えるのを首筋に感じながら、ユナは声を振り絞った。
「ある意味、こうやって看取ってもらえるって運がいいんだろうね。こういう仕事してたら、流れ弾であっさり死ぬことだってあるわけだし。ねえ、もっとよく顔見せてよ」
 返事は返ってこなかったが、わずかに体を前に倒すような動作で青年が頼みを了承してくれたことは分かった。それに対して、ありがと、と口の中で礼を言って、最後の力を振り絞った――会話で時間を稼いでいるうちにほんのわずか動くようになった右手に力を込める。がれきの中で指先に触れた鋭利なガラス片を握りしめ、横殴りに相手の首へ突き刺した。大きく見開いた、その目に告げる。
「謝られて納得できるものじゃないと思うけど、ごめん」
 首から噴き出した血が、雨のように降り注ぐ。そのあたたかさにわずかな吐き気と、どうしようもない寂寥感を感じながら――青年の体が傾いていくのをじっと眺め、それが視界から消えたときユナはようやく瞬きをした。
 実戦経験に欠ける若い暴力団員をうまいこと殺したからといって、身動きが取れるようになるわけでもない。むしろ力を使い果たして、今度こそ本当に指の一本も動かせそうにない。体がばらばらになってしまったような錯覚に、目を瞑る――いずれにせよ死ぬなら、殺されてやるべきだったのかもしれない。
 それでも、
「無事か!」
 その声を。
「おい、ユナ!」
「……期待しちゃったんだよなあ」
 がれきの上に四肢を投げ出したまま、ユナは半分だけ目を開けた。声は喉につかえて咳払いに化けたが、彼なら唇の動きから読み取るくらいわけないはずだった。
 覗き込むようにして見つめてくる彼――如月影二を、ユナは見上げた。離れていたのは半年ほどだっただろうか。随分と懐かしいような気がする。
「おかえり、えいじ」
 告げた瞬間、意識はぷつりと途切れた。




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