カフェごっこ

 視界の端では後輩の高谷煉が鼻歌交じりにコーヒー豆を挽いている。深く炒った豆の香ばしい匂いを嗅ぎながら、片桐浩二は顔をしかめた。
 発端は奏和高校の近くでカフェを営んでいる老オーナーが腰を痛めたことだった。コーヒーの美味い店で、高谷がよく通っていたらしい。木崎新太郎の言葉を借りるのならしゃらくせえ、の一言に尽きるが、ともかくそんな縁から店番を頼まれたのが数日前。
 カバディ部は合宿を終えたばかりで、折しも夏休みに入っていた。結論を言うなら、高谷の口車に乗せられたのだ。まな板の上に並んだバナナを慎重に切りながら、溜息をひとつ。隣でパフェグラスに生クリームを絞り入れていた木崎が、ちらりとこちらを見て唸った。
「やめろよ。ただでさえ気が滅入ってんだから」
「本当なら万里と海へ行くはずだったんだ」
「片桐」
「二年ぶりだぞ。可愛い水着を買ったから当日のお楽しみねと言われて、まだ見せてもらってない」
「片桐、やめろ」
 その制止を素直に聞く気になったからというわけでもないが、なんとなく口を閉じて互いに顔を見合わせる。再び溜息を吐く代わりに今度は飲み込んで、それぞれの工程へ戻ろうとしたところで――カランと音を立てドアが開いた。
 顔を上げ、準備中ですと言いかけた高谷が笑う。
「なんだ、マリちゃんか」
「万里だってば」
 そんないつもの挨拶を済ませた万里――幼馴染の相馬万里は、片桐の姿に気付くとパっと顔を綻ばせた。
「浩くん! あのね、わたしもお手伝いすることになったの」
 気が利くでしょといわんばかりに振り返ってきた高谷とじとりと睨んでくる木崎の視線に挟まれたところで、頬が緩んでしまうのは止めようもない。隠せもしない。
「万里」
 彼女の名前を呼ぶ声が、甘さを帯びるのも。
 ――裏切り者め。
 隣から聞こえてきた恨み言は聞かなかったふりをして、更衣室へ入って行く幼馴染の背中を見送る。万里なら、きっとここの赤い制服もよく似合うのだろうなと思いながら。






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