たまにはこんな日もある

「ねえ、影二。キスして」
 膝の上で甘えてくるユナに素っ気なく、見下ろすなと告げた。途端に拗ねた顔で降りようとする彼女の腕を強く引いて、引き結ばれた唇に軽く触れる。
「天邪鬼だよね」
 知ったふうなことを。
「そういうとこも好き」
 知らぬとでも思ったか。
 睦言には向かない言葉の代わりに望み通りの口付けをもうひとつ。
 二度目は少し、長引いた。

呼び戻しゲーム

「ユナ、来い」
 呼ぶ。慎重に、あるいはなにか堪えるように様子をうかがっている彼女にもう一度。こちらも腕を広げつつゆっくりと、
「よいのか。このような機会、滅多にあるものではないぞ」
 と。その一言で勝負は決まったようなものだった。互いの間に漂っていた緊張感が霧散して、ユナが勢いよく飛び付いてくる。
「そんなこと言われたら、負けるしかないじゃん!」

夢の中でも愛して

 薄情者めと呟いて、隣で眠るユナをじとりと睨んだ。ああ、八つ当たりでしかない。分かっている。すべては彼女の関与しない夢の中での出来事だとは。
(だが、悔しいではないか)
 よっぽど幸せな夢を見ているらしい。口の端を少しにやけさせている――その呑気な寝顔を見ていたら酷く腹立たしくなってしまったのだ。指先でむぎゅと鼻をつまむ。
 さて何秒で起きることやら。

それで手を打とう

「影二がね、優しい顔で抱きしめてくれる夢を見たんだよ。すごく幸せだったのに、なんか突然そのまま絞め殺されそうになって、苦しくて起きたら本物の影二に本当に殺されかけてた。信じられない」
「大仰なことを」
 ただ少し鼻をつまんだだけだと言い放つ影二はいつだってふてぶてしい。もう。なにが気に入らなかったの。そんなふうに訊き返してもろくに理由を話してくれないよなとこも含めてね。だけど、ぷいとそっぽ向く横顔が少し決まり悪そに見えたから。
「ねえ、影二。夢の中みたいに」
 ぎゅってしてくれたら、さっきのノーカンってことでどう?

トばないと開かない部屋

 それ、行くぞ。
 と、促す声に全力で抵抗する。無理だよ。無理だから。無理に決まってるじゃん。
「無理無理無理ぃ……」
 そんな抵抗虚しく影二がわたしを掴む腕に力を込める。あ、ちょっと、ほんと、お願いやめて。それ絶対に……
「意味違うごぎゃっ?!」
 次の瞬間に浮遊感。ゴッて鈍い音がして目の奥で火花が散った。天井で頭打った痛みで悲鳴すら出ないわたしはそのまま落ちて、また影二の腕の中。彼は奇妙そうな顔で悪びれもせず呟いた。
「む、開かぬな?」
「開かぬな? じゃないよ!」

試す相手を間違っている

「影二、好き。大好き!」
 ふにゃりと笑って告げてくるユナを見つめ、それから影二は怪訝な顔で手元の巻物に視線を落とした。今では廃れて久しい流派の忍術書だ。知人から譲られて、まあもののためしにとそこに記された自白暗示の類を彼女で試していたのだが。
「普段と少しも変わらんな」
 いつもと同じようにべたりと張り付いてくる彼女を引き剥がしながらひとつ息を吐く。
「新たな技の参考にでもと思ったが、眉唾か。これだからおのれの拳以外はあてにならん」

恋人みたい、ではなかろう
……今夜はオムライスにしよ

 買い物帰りの通り雨。わたしがひとつ袋を持ってさ、影二が小さな折りたたみ傘を二人の間に差してくれてた。お互いはみ出た肩が少しだけ濡れてたけど、なんかちょっとこういうのいいね。恋人みたい。なんて、取るに足らないよなこと話してたらさ。
「持て」
 不意に影二が傘を差し出してくるから。言われるままに空いた手で持ったんだ。だってさ。誰だって、普通そうするじゃん?
 両手が塞がった次の瞬間に、顔を寄せられるなんて思わないよ。気づいたときには唇が触れて、気づいたときにはグチャって。ああ、卵割れちゃった。

ならば仕方がない

 腰のあたりにまとわりついてくる両腕に少し顔をしかめながら振り返る。二週間の出張でなにをさせられてきたのか、まあろくな仕事ではなかったのだろう。ユナは酷い有様だった。青白い顔に、目の下には濃い隈まで作っている。さらに漂ってくる血の匂いに、影二は口を開いて――
「充電。影二不足で死んじゃう」
 疲れているのなら早く風呂に入って寝ろと、そう言ってやろうと思ったのだが。
 舌先に生まれた言葉を飲み込んで、代わりに溜息をひとつ。




TOP