ななしの話

 ジェーン・ドゥと呼ばれている女がいた。
 あるいは无名氏だとか、Miss.Smithだとか。
 名前どころか生まれた場所や年齢さえ分からない。そんな得体の知れない女だったとしても、組織としてはまったく構わない。
(まあ、死体になりゃ皆同じだからな)
 いくらかは陰鬱な心地で息を吐いて、ビリー・カーンは新しい部下をじろりと眺めた。彼女は背筋をピンと伸ばしつつ、けれど後ろへ撫で付けた癖毛が落ちてきてしまうのを酷く気にしている。大丈夫かこいつ。胡乱な視線に気付いたらしい彼女と目が合う。どう呼んで注意すべきかも分からず見つめ合うこと、数秒。
「ああ、ええと、お好きなように」
「先回りするんじゃねえよ」
 愛想笑いを浮かべている彼女にぴしゃりと言って、もう一度だけ嘆息する。それから、ビリーは空白ばかりで意味をなさない経歴書を丸めて背後へ放り投げた。
「ユナ・ナンシィ・オーエン」
「はい?」
「何者とも判らぬ者。同じ名無しでも、少しは気が利いてるだろ」




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