ふしあわせな物語

 はじめて人を殺したのは十四の夏だ。 父はブルーカラーで酒を手放せない人だった。母はもっと幼い頃にそんな父を見限り男を作って出ていっ たし、三つ上の兄はミドルスクールを卒業して早々に家出して二度と帰ってはこなかった。置いてきぼりにされたわたしはといえば悲惨なもので、父が素面のときにはひたすらにお前だけは傍にいてくれと泣きつかれ、酔ったときにはお前もいつか裏切るのだろうと殴られ――その日は特に荒れていて、酒瓶で背中を散々に打ち据えられたことを覚えている。
 母への怒り。兄への怒り。ままならない自分の人生への怒り。そうした理不尽をわたしにぶつけるだけぶつけ、疲れて眠る父を見ていたら、唐突に殺意が芽生えたのだ。それは激情ではなかった。冷酷な生き物に乗っ取られでもしたかのように頭は妙に冴えていた。兄が唯一残していった飛び出しナイフを部屋から取ってきたわたしは、それを父の胸をめがけて突き立てた。
 何度も、何度も、何度も。命乞いはなく。謝罪もなく。 あるいは、悲鳴のひとつくらいは上げたかもしれない。上げなかったかもしれない。いずれにせよ父は驚くほど呆気なく事切れた。
 血に濡れた部屋で佇むわたしを酒代の取り立てに来たチンピラが見つけ、彼を呼んだのだ。
「こりゃあグレイトだな」
 彼――Mr.ビッグ。暗黒街の顔役である男は、わたしを見るなりそう言った。
「普通の人間はな、人を殺せと言われてもこんなに綺麗にはできねえ。まして初めてなら、ビビってあちこち刺しちまう。それを心臓だけ狙って滅多突き。相当にキてるぜ、お嬢ちゃん」
 皮の厚くなった手をわたしの頭に置いて笑うその顔の、なんて気持ちの良いことか。それはわたしが、初めて人の優しさを感じた瞬間だった。




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