レジデンス琥珀館

 はじまりは、そう。梅雨も明けたばかりの七月末日。その日はすごく暑かった。冷房は二十六度。そんなに広くはない部屋を快適に保つには十分な温度で、ドーシテだろねって影二と二人で首を傾げてた。うそ。影二はどうでもよさソーにふむふむ頷いてるだけだった。
「遠くでサイレンの音鳴ってるねー」
「むしろ近付いているような気もするが」
「ちょっと煙くない?」
「……貴重品をまとめろ」
「えっ、ナンデ?」
「火事だ」
「カジ?」
「火事も知らんのか。建物が燃えて……」
「いや分かるケド!?」
 それがわたしたちの最後の会話だった――なんてことは勿論なくて、そのあとは貴重品とわたしを抱えた影二がベランダから脱出。
 飛び移った先の建物で住人から不審者扱いされるなどしてそれはそれで大変だった、というのはまた別の話。
 一年とちょっと住んでた思い入れのあるアパートは、こうしてあっという間に全焼してしまったのだった。原因は放火だっていうから物騒な世の中だよね。近隣の住人が走り去る黒服を見てただとか、あの後ろ姿は堅気の人間じゃなかったとか、そんな話もちらりと耳に入ってきてなんとなく胃が痛い。どうせハワコネ案件だろうと言いたそうな影二の視線が刺さること刺さること……!
「で、どうする」
「と言いますと」
「新しい物件を探すにも、通常の契約手続きに難のある身だが。互いに」
「…………!」
 そうだ。そうだった。
 影二は(如月の里にお屋敷を構えてるとはいえ)根無し草の生活だし、わたしに至ってはまともな戸籍も持ってない。このアパートを手配してくれたのはビリー様だから頼めばどうにかしれくれるにしろ、今すぐドーコーってのはやっぱ難しい。冬の野宿も寒いけど、夏の野宿も嫌だなあ……臭くなるじゃん?
「かと言って、お付き合いさせていただいてますの挨拶と家がなくなっちゃったので住まわせてくださいのお願いが一緒になるのはなんか感じ悪いかなあ」
「なんの話だ」
 言外に如月の里には連れて行かんぞ、と影二。まあそうだよねと思いながら通帳の残高とにらめっこする――しばらくはホテル生活かあ。減給も重なってるし、あんまり長く続くと厳しいかな。ハワコネって副業大丈夫だっけ? だとしても日本じゃ素性の知れない外人なんてあんまり雇ってくれないよなー……なんて考えてたら、ふっと目の前が暗くなった。
 いや比喩じゃなくてね。
 人影がふたつ。スーツ着た女のヒトが二人。サングラスと(このご時世的なあれなのか)おっきなマスクつけて顔立ちは分からないんだけど、金髪と赤髪には見覚えがあるようなないような。ちらっと影二を横目で見ると、すごい嫌そな顔してた。
 金髪の方が、すっと封筒を差し出してくる。お困りのようね、なんて言いながら。
「そりゃまーひたすらに困ってるけど。ナニこれ?」
 なんて訊き返したときには、あたりに二人組の姿もない。面妖なって呟いてる影二の横で封筒を開けると、中には――
「入居募集?」
 敷金礼金不要。新築駐車場付き。駅から徒歩五分。
 七月某日完成しましたマンション「レジデンス琥珀館」では、格闘家を含めたご入居者様を募集しております。
 案内状をお持ちになった方に関しましては書類審査不要にて入居の手続きを致しますのでお気軽にお越しください。
「捨てる神あれば拾う神ありっていうんだっけ、こういうの。家賃も今までとそんなに変わらないし、お部屋広い。すごい好条件」
「露骨に怪しいが。ふむ、格闘家を集めた物件か……」
 顔を見合わせて、ちょっと考える。っていっても結論はもう出てるようなものだった。わたしには選択肢がないし、影二は面白そうって顔してるし。
「じゃあ、まあとりあえず」
「赴いてみるとするか」
 どちらともなく頷いて謎のマンションに入居することを決めたわたしたちは、封緘に捺されたRの文字は見なかったことにした。レジデンスのRだよね。うん。



続く?

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